兄弟(人々、隣人)との和睦はとても大きいこと

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<神様と聖霊様との和睦>はよりやさしいです。全能なる存在者とは和睦することがやさしいからです。しかし<人間でいらっしゃる主との和睦>はより難しいです。また<主との和睦>はよりやさしく、<兄弟(人々)との和睦>はより難しいです。これは兄弟が「一般的な対象」だからです。

<主>は「主体の立場」なので、みんな和睦しやすいけれども、<兄弟(人々)同士>は互いに「尊敬の対象」ではないので、敬い、仕え、和睦することが難しいです。

いつも<目下の人>に和睦で、尊敬で接することが難しいです。

<ユダヤの宗教人たち>も神様には和睦に接したけれども、兄弟(人々)のようなイエス様にはみだりに接し、不和を成すように接し、憎しみと蔑視で接していて、その行ないどおりにメシヤによる裁きを受けました。

神様と聖霊様を尊敬し、愛で接するように、<兄弟(人々)や目下の人に和睦で接する生>はとても大きい「信仰の生」です。このことを行なう人は「和睦の祝福」も受け、「神様に属した自分の祝福」も、季節のように絶えることなく受けるようになります。

2020年1月25日のみことばより抜粋

 

以下、関連しそうな聖句を幾つかだけ抜粋してみました。
イエス様は兄弟との和睦についてたくさん話されてるんですよね。

 

マタイによる福音書5章22-24節
しかし、わたしはあなたがたに言う。兄弟に対して怒る者は、だれでも裁判を受けねばならない。兄弟にむかって愚か者と言う者は、議会に引きわたされるであろう。また、ばか者と言う者は、地獄の火に投げ込まれるであろう。
だから、祭壇に供え物をささげようとする場合、兄弟が自分に対して何かうらみをいだいていることを、そこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に残しておき、まず行ってその兄弟と和解し、それから帰ってきて、供え物をささげることにしなさい。

 

マタイによる福音書7章3-5節
なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取りのけることができるだろう。

 

マタイによる福音書18章21-35節
そのとき、ペテロがイエスのもとにきて言った、「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯した場合、幾たびゆるさねばなりませんか。七たびまでですか」。イエスは彼に言われた、「わたしは七たびまでとは言わない。七たびを七十倍するまでにしなさい。

それだから、天国は王が僕たちと決算をするようなものだ。決算が始まると、一万タラントの負債のある者が、王のところに連れられてきた。しかし、返せなかったので、主人は、その人自身とその妻子と持ち物全部とを売って返すように命じた。

そこで、この僕はひれ伏して哀願した、『どうぞお待ちください。全部お返しいたしますから』。
僕の主人はあわれに思って、彼をゆるし、その負債を免じてやった。

その僕が出て行くと、百デナリを貸しているひとりの仲間に出会い、彼をつかまえ、首をしめて『借金を返せ』と言った。
そこでこの仲間はひれ伏し、『どうか待ってくれ。返すから』と言って頼んだ。
しかし承知せずに、その人をひっぱって行って、借金を返すまで獄に入れた。

その人の仲間たちは、この様子を見て、非常に心をいため、行ってそのことをのこらず主人に話した。

そこでこの主人は彼を呼びつけて言った、『悪い僕、わたしに願ったからこそ、あの負債を全部ゆるしてやったのだ。わたしがあわれんでやったように、あの仲間をあわれんでやるべきではなかったか』。
そして主人は立腹して、負債全部を返してしまうまで、彼を獄吏に引きわたした。

あなたがためいめいも、もし心から兄弟をゆるさないならば、わたしの天の父もまたあなたがたに対して、そのようになさるであろう」。

 

マタイによる福音書25章40節
すると、王は答えて言うであろう、『あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである』。

 

ルカによる福音書22章32節
しかし、わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った。それで、あなたが立ち直ったときには、兄弟たちを力づけてやりなさい」。

 

マタイによる福音書22章35-40節
そして彼らの中のひとりの律法学者が、イエスをためそうとして質問した、
「先生、律法の中で、どのいましめがいちばん大切なのですか」。
イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。
これがいちばん大切な、第一のいましめである。
第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。
これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている」。

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