文献:「私だけが歩んできた道」より
死のうとすると青春が惜しく、生きようとすると苦労ばかり(1)
の続き
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私はこのような環境で暮らしながら、いつも地獄を考えていた。地獄のような暮らしだから地獄の考えが何度も思い浮かび、連想することができた。このような苦痛のあまり、生きているうちは地獄のような生活を送っても、死んでからは天国の生活を送ろうと、教会にもっと熱心に通うようになった。それで1週間で14回も教会に出かけた。どういう時に行けば14回にもなるのか、熱心に通ってみた人なら分かるだろう。
私だけではなく、私と一つ屋根の下に暮らす家族も、私と同様にひどい苦痛を味わった。結局、年齢を重ねるにつれて、この苦痛のゆえに考え深くなり、それ以上耐えられなくなって、兄弟全員が都会に抜け出し、両親と私だけが残るようになってしまった。その時が1975年だった。
それで私は78年まで月明洞の実家で両親の世話をし、生活戦線にいっそう深く身を投じることになった。山で祈る機会がますますなくなり、聖書を読んで考えたり、研究する時間もなくなって、心中では悩みに悩んで、もっと思い煩うようになった。けれども命をかけて行くべき道だから、まるで虎が唸りたてているかのように睨んでいる父を横目に、夜になると欠かすことなく自分の時間をつくるために山に向かった。テドゥン山、カムナム山・・・。
眠ることができなくても働かないから夜が楽だった。夜を明かして、もがきながら祈った。そしてすっきりした気持ちで神様の御言葉を読んだ。すると昼間の強烈な太陽より、もっと熱く私の心に浮かぶものがあった。人生の虚しさが、人生の価値観が、神様のその貴重さが、未来の人生の希望が・・・。