生活をする中で問題の処理をしていたら、「大きいこと」はうまくいったのに、「小さいこと」がだめで、気分が悪くなり、心情が傷つくような時がある。
誰でもこのような時がある。生の中でこのようなことが多い。教訓にすることもあるけれども、大概、自らつまずくようになる。つまずくな。またやればいい。
預言者エリヤも「850人の偽預言者たち」を滅ぼしてから、偽預言者たちを育てた「アハブ王の妻イゼベル」が自分を殺そうと追いかけて来ると言うから荒野に逃げた。そして落胆して自暴自棄に陥った。(旧約聖書 列王記上17章-19章)
<大きい火>は消したけれども、<小さい火>がまたついたのだ。
<大きいこと>はよくできても<小さいこと>はできなくて、泣きべそをかく人たちもいる。
イゼベルが追いかけて来るのは当然なことだ。(旧約聖書 列王記上19章)蜂の巣のはちみつを全部取ったから、蜂が怒って追いかけて来るものだ。蜂の巣に火をつければよかったのに、エリヤは勝利の後に自暴自棄に陥った。
預言者エリヤが神様に願い求めたことで「偶像の指導者、偽預言者850人」を全て滅ぼした。それで彼らを育てた「アハブ王の妻イゼベル」が、瞬間気が動転してエリヤを追撃した。
エリヤはそういうことで落胆して「もう死んでもいいです」と、ため息をついて話した。
偽預言者850人を全て滅ぼし勝利したのだから、偶像に仕える王妃イゼベルが追いかけて来ても、今までやってきたように神様の権勢と御力を信じて願い求め、大胆にやればよかった。
神様が、さまざまな偶像を作って仕え、それに拝し、偽預言者を育てたイゼベルをそのままにしておくだろうか。
イゼベルの行為は全て「偶像の行為」だった。偽預言者850人も全てを滅ぼしたのに、そのままにしておくだろうか。
しかしエリヤは<大きなこと>を解決し、<その次のこと>のせいで自暴自棄に陥った。それはちょうど<自分の願い>を叶えたのに、「それによってくる糸のような問題」で自暴自棄に陥ったのと同じだ。
エリヤが落胆し自暴自棄に陥ったから、神様は「あなたはもう休みなさい。エリシャを立てて、あなたの後を継がせて働かせなさい」とおっしゃった。
このことを教訓にして、あなたの前に「イゼベルのようなこと」が起こったら、光をつかむように速く<祈り>、<実践>しなさい。神様が全てご覧になっている。
人は<大きな勝利>の後に「それによって来る、取るに足りない問題」で神様の栄光を遮ることがある。ある人はその「取るに足りないこと」のせいで自暴自棄に陥る。
大きい狂犬が自分を噛もうとしたので、足で蹴っ飛ばし戦って滅ぼしたら、その狂犬の子供が追いかけて来た。イゼベルのようなことだ。
逃げて行っても追いかけてくる。逃げて行って絶壁に行けば、追いかけてくる途中やめるか、絶壁の下に落ちて死ぬ。
人生を楽しく生きなさい。
<大きい勝利>をしたなら、「それによって来る小さい問題」を楽しく対処して生きなさい。
顔全体にニキビができたので祈って全部治ったけれども、いくつかのニキビが祈っても治らず、薬を塗っても治らないと言って落胆するな。時間が進めば、旱魃(かんばつ)で水が蒸発するように、なくなる。
何かの問題を解決する時も、<大きなこと>は解決したのに、<小さいこと一つ>がうまくいかない。そのことを続けて話しなさい。
あることは「その一つ」をもって、もっと悟らせてあげるための場合もあるし、あることは神様の御心があることもある。
病気も「大きいもの」は治ったのに、「小さい一つ」がいくら治療し、祈っても、治らない。それが自暴自棄に陥らせる。
<大きいもの>が治ったから、奇跡だと思って、もっと感激しなければならない。使徒パウロもそうだった。
<自分の矛盾>もそうだ。全部直したのに「一つ」が直らなくて落胆するようになる。「直したこと」を考えて、感謝しながら行ないなさい。
<教会の困難な問題>も解決したのに、「小さい問題」が生じて悩んでいるのか。大きい問題を解決したから、全て感謝感激しなさい。そして大きい問題を解決したように、またやればできる。
人生において「大きいこと」は100%解決したのに、「いくつか」がうまくいかなくてやきもきする時がある。それも大胆にやりなさい。知恵をもってやりなさい。
大きい患難にも全て勝ったのに、また患難が来たら「まだ患難があるのか」と思って、諦めて、「もう知らない」と言う。
生きてみれば、ある時は預言者エリヤのようなことに見舞われる。
偶像の神に仕える偽預言者850人を神様と共に滅ぼすように「大きいこと」はよくできたのに、「気違いイゼベルのようなこと」が起こる時がある。
また神様と一緒に処理すればいい。そうすれば全て明るみに出る。
イゼベルがエリヤを殺そうとして追いかけて来たけれども、むしろそれが「イゼベルが自分の権力で偽預言者850人を育てたのだな、彼らを殺したから、私を殺そうとこのように追いかけて来るのだな。彼らのようにイゼベルも滅ぼそう」と切実に悟って、神様と共に滅ぼす機会だった。結局その夫アハブ王もイゼベルも悲惨な最期を迎えるようになった。神様が裁きを敢行なさった。
いつの時代でもイゼベルのように偶像に仕え、自分の権力をもって偽る者を育て、神様に栄光を帰さず、神様が喜ばないことをする人たちは、結局神様が全て打ち、お裁きになる。
ある時は「大きいこと」はうまくいったのに、「それより10分の1、20分の1程度の小さいこと」が不思議と祈ってもだめだし、努力してもだめな時がある。それのせいで「大きいこと」までつなげて気に病むことはない。だめなら記念として残しておくか、もっと時間が経ってからやればいい。
祈るからといって100のことを全て100%解決することはできない。
全部解決されても「その中の一つ」がだめな時がある。
その一つのせいで「祈ってうまくいったこと」まで全て否定して神様の気に障るようなことをするな。
<大きい勝利>をしたのに、「小さい問題」が起こったと落胆し、自暴自棄に陥るな。
あなたたちは「人類最高の勝利」をした!また神様と聖霊様と御子と共に大胆に行なえばいい。
2017年1月21日土曜日の明け方の箴言より