摂理の鄭明析牧師 明け方の箴言より
過去の歴史を鑑にして、見よう。
神様の歴史を待っていても、
いつも真実に目を覚ましている少数の群れだけが迎えた。
2000年前、イエス様がいらっしゃった時
弟子たちや当時の人達は多くの祝福を受けた。
キリスト、メシアという存在を神様がこの地球に立ててくださったことが
何よりもの祝福だ。
もしイエス様を通して神様が働くことがなければ
例えば、声だけで神様が働いたのであれば
2000年後の今に至るまで、キリスト教の歴史が栄えたことは無かっただろう。
神様がどのようにするのか
実体的にイエス様に神様が御子が聖霊様が働きかけてくださり
あらわしてくださった。
イエス様は異端だの何だの言われながらも
その福音の手を緩めることはなさならかった。
知恵をもって、比喩で御言葉を伝え
分かる人に分かるように伝えてくださった。
再び主を送ると神様は言った。
再び送られても、私達が神様を信じる信じないが
再臨主を迎えるにあたって大きな影響を及ぼすだろうか。
私はそうは思わない。
神様を信じたとしても
自分の考えが神様と一体にならなければ
到底迎えることは出来ないだろう。
神様がどのようにイエス様を2000年前に送ったのか
そこを研究することはとても大事なことであり、知恵深いことだ。
神様の歴史はいつも雄大であり壮大であり、かつ理知的だ。
道理に合わないことはなさらない。
私達が神様の考えとピッタリあい
心情が合い、行いも合い、そして神様を真に愛した時
必ず本当の意味で再び来られる御子を迎えることができる。