摂理のバイブルスタディ -「堕落論」神様の心に涙が流れた話

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摂理の創造目的の御言葉と一緒になって伝えられる堕落論。

この堕落論は、とても深い神様の心情の話だ。
人は計画通りいかなかったとき
その計画に対して時間と心情をかけたほど
悔しさ、虚しさ、悲しさが比例していくのではないだろうか
意味があるから時間をかけ
心があるから心情をかけ
時には命をかけてきた

神様は137億年の時間をかけて宇宙万物を作ってきた。
これは摂理人でなくても、摂理人であっても、分かっていることだ。
それだけの時間と、それだけの思いをかけたことが無いから
100%、神様の思いを完全に理解することは相当難しいことだ。

摂理の鄭明析牧師先生が、この堕落論を始めて得た時
それ相応の涙の祈りがあった上でだった。
祈らなければ神様の心情は分からず
同じ目になってみなければ神様の深い悲しみは分からない。
でも求めて諦めなかったのが鄭明析牧師先生だ。

私はこの摂理堕落論のバイブルスタディを初めて聞いた時
その深さがあんまり分からなかった。

アダムとエバが単に追い出されたということではなかった。
単に約束を破ったからエデンの園を出るしかなかったということではなかった。
ずっと不思議だった。
「リンゴを食べただけで神様は追い出すのか?」
それだけなら、今の多くの人達が神様から追い出されているに違いない。
摂理堕落論を聞いて、神様の本当の思いが分かった。

神様は人間をとっても愛していたから
堕落によって人間が離れることが到底、耐え難い苦痛だった。
神様は人間にずっと片思いをしてきた。

ああ、私の名前、呼んでくれないかな?
神様は、今日も頬杖(ほおづえ)をついて
愛する人を眺めていました。
人間は、神様がじっと見ているのは
人間が悪いことをしたら罰を与えるためだと思っている。
でも、私はいつも・・
あなたが困っていたら
助けてあげたいとおもって眺めているのにな・・・

この堕落論は、神様の辛い心情の話。
そして二度と繰り返してはならない話。。

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