摂理BSも、もう終盤という時に出てくる
「ひと時ふた時半時」。
聖書の究極の秘密。
<ダニエル書 12章7-13節>
かの亜麻布を着て、川の水の上にいた人が、天に向かって、
その右の手と左の手をあげ、永遠に生ける者をさして誓い、
それは、ひと時とふた時と半時である。
聖なる民を打ち砕く力が消え去る時に、
これらの事はみな成就するだろうと言うのを、わたしは聞いた。
わたしはこれを聞いたけれども悟れなかった。
わたしは言った、
「わが主よ、これらの事の結末はどんなでしょうか」。
彼は言った、
「ダニエルよ、あなたの道を行きなさい。
この言葉は終りの時まで秘し、かつ封じておかれます。
多くの者は、自分を清め、自分を白くし、かつ練られるでしょう。
しかし、悪い者は悪い事をおこない、
ひとりも悟ることはないが、賢い者は悟るでしょう。
常供の燔祭が取り除かれ、荒す憎むべきものが立てられる時から、
千二百九十日が定められている。
待っていて千三百三十五日に至る者はさいわいです。
しかし、終りまであなたの道を行きなさい。
あなたは休みに入り、定められた日の終りに立って、あなたの分を受けるでしょう」。
これだけ読むと・・・
「サッパリワカラナイ(´∀`)」
で、摂理BS ひと時ふた時半時は終わりを告げてしまう。
いやいや、この聖句。深いんですよ。背景を知ると。
ダニエルは、預言者。
ダニエルはどんなことにも心が変わらず、雨風の艱難に打ち勝ってきた人。
聖書を読めば、多くの人はダニエルの生き方に共感するかもしれない。
なんて強い人だろう、なんて忠誠を尽くした人なんだろうと。
バビロン捕囚時代に総理大臣にまでなるが、おごり高ぶらず
神様を愛し民族を愛した人。
でも。
そのダニエルが質問してきたことに対して、神様は
「この言葉は終りの時まで秘し、かつ封じておかれます。」
と話された。
神様が「秘す」と言ったのだ。
つまり秘密だと。
その時代、一番ダニエルが神様に向かって心正しく生きていたと思われるが
ひと時ふた時半時が一体何を指すのかというところは
ダニエルに神様は秘密だと言った。
「終わりの時まで秘し」
つまり終わりの時が来たら、この秘密は解かれるということだ。
どんなに偉大な預言者がいたとしても
神様の時が来なければ、神様も伝えることはできない。
勿論、どんな時も神様にむかって偉大な生き方をすることは
絶対に無駄ではない。
無駄だと言うなら、御子が再び来るまで
どんな生き方をしていても関係が無いということになる。
無駄ではないが
ただ、時が違ったということだ。
ひと時ふた時半時は
摂理のバイブルスタディーの中でも
とても重要な話の一つだ。
肉的解放、霊的解放、いろんな時があるけれども
「神様の時」とは一体なんだろうか。
マタイによる福音書24章 36節
その日、その時は、だれも知らない。
天の御使たちも、また子も知らない、
ただ父だけが知っておられる。
聖書を見る限り、一つ言えるのは
「時」の中で神様だけが知っておられる時というのが存在するということだ。
だから、このひと時ふた時半時についても
誰か人が解くものではなく
祈りを通して神様に願い求めることが絶対に必要だ。
だって神様しか知らないのだから。
ひと時ふた時半時。
それは神様しか知る由がないものであり
聖書最大級の謎である。