摂理のバイブルスタディ― 「洪水の裁き」

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<創世記6:5>
主は人の悪が地にはびこり、すべてその心に思いはかることが、いつも悪い事ばかりであるのを見られた。
<創世記6:6~7> 
主は地の上に人を造ったのを悔いて、心を痛め
「わたしが創造した人を地のおもてからぬぐい去ろう。
人も獣も、這うものも、空の鳥までも。
わたしは、これらを造ったことを悔いる」と言われた。 

「裁き」と聞くと日本人は「怖い」
という傾向があるだろうか。
摂理のバイブルスタディで中盤くらいに聞くか、最後のほうに聞くかあたりの
「洪水の裁き」。
ノアの洪水の話自体は多くの人が知っているだろう。
ノアの洪水が起こる前、
「ノア」が
「もうすぐ洪水が起こる。だから箱舟に乗ろう」
と言った。

Masaru's Matchbox ブログより
でも箱舟を作るノアの言うことを聞かず
箱舟には乗らなかった。
そして洪水が起きた。
今日はこの
「ノアが洪水が起こる前に、もうすぐ洪水が起こると話していた」
という部分をクローズアップしてみる。

神様は何かをするときに必ず事前に話されると言った。
人を通して、自然万物を通して、または夢を通してなど。
とにかくいきなりされることはないといった。
今週の摂理の主日礼拝では
★神様がくださるときは
「自分の考え」と異なって「神様と聖霊様と御子の方法」で下さるから、
さまざまに心の門を開いて、待たなければなりません。
★くださる時は「自分の考え」と異なったかたちで下さるから、
人々を見くびらず、すべてに耳を傾けて、尊重して、無知の中で相克しないことを願います。
と話されていた。

ノアが事前に話していた時に
「そんなことはまさか起こるはずがない」
「頭がおかしくなったのでは」
ではなく
「もしかしたら、神様がノアを通して話されてるのかな?」
「ノアの言うことをもう少し聞いてみようかな?」
という姿勢があったら、きっと神様はノアを通して
更に人々に働きかけたのではないだろうか。

神様がノアを通して話されていた時に
ノアの話を聞かない人間たちを見ながら
神様はどれだけ悲しかったんだろうかと思う。
愛してるから話すけれども
大事だから話すけれども
話しを聞いてくれなかったら
誰しも悲しくはないだろうか。
辛くはないだろうか。

神様がノアを通して話されたときの心情を
もっと深く悟りたい。
どのような心だったのか
神様からもっと話しを聞いてみたい。

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