ー鄭明析牧師が自身の若き頃、修道生活をしたときの話ー
私の肉体は不平の中にあって、結局諦めるようになる。到底これ以上できないということなのだ。霊魂だけを生かすために、肉体をこれほどにまで虐待すべきだろうか。自暴自棄になり、自信を失う瞬間だった。
その瞬間、私の霊魂も深刻になって、しゃがんで座っているみすぼらしい私の肉体を見つめていた。霊魂も肉体を理解はした。しかし、この段階で少しでも後に引き下がってはいけないという霊魂の執念があった。
私の肉体は裸のままヒューヒュー吹きつける夜明けの風に吹かれながら、凍りつている井戸の隣にみすぼらしく座り込んでいる。肉体に嫌気がさしてきたのか、いや全てを諦めたのか、魂が抜けたかのように、時間が経つのも忘れている。私の霊魂が説得しても理解できないのだ。
私だけが罪を犯したと言うのか。どうして私だけがこのようにしなければならないのかと霊魂に嘆く。私の霊魂が困っていた。しかし、もがきなしには死の谷から抜け出せないため、私の霊魂の覚悟と執念は変わらなかった。
私の霊魂が肉体に「このまま夜が明けると、裸が全部あらわになるので、あなたは恥をかくだろう」と言った。恥をかいても、よく分からないと肉体は言う。たとえ肉体が恥をかいても、霊的な問題が解決されなければならないと言った。「ああ!なんという惨めな体なんだろう。この煩わしい体から、誰が私の問題を解決してくれるだろうか」。
この瞬間、私に天の霊感の声があった。「あなたの体を、神様に喜ばれる、生きた、聖なる供え物として捧げなさい。それがあなたのなすべき霊的な礼拝である」。
気が抜けて投げやりになっていた肉体が、神様の霊力をもらったのか、パッと起き上がって、氷の固まりがジャリジャリ入った冷水を何桶か頭から被った。「体を清め、磨くということが必ず必要なんだ。そうしないと神様が祭壇として受け入れて下さらない」
霊魂だけをきれいにしたからといって、受け入れて下さるものではないということを肉体が悟るようになった。本当に神様の御言葉は命の御言葉であった。肉体は私の霊魂より、もっと気が狂ったかのように喜びながら、明日の朝は垢擦りまでしようと決心した。
私の霊魂はその姿を見てもっと強く反省した。「私もあの肉体のように神様の御言葉を聞いたとき、もっと超人的な力を発揮して、霊的な困苦と苦痛を解決することができる」と、霊魂もまた井戸の隣で決心した。
今日の夜はタリコル祈祷窟に行って、夜が明けるまで徹夜でお祈りをしよう、と私の霊魂と肉体は決心した。まるでサマリヤの女がイエス様を悟って人生をかけますと決心したときのように、一つ復活した新しい姿を見せた。
このような事があった後、すぐに冷水浴を終えて、私は飛ぶように部屋に入り、明け方のお祈りを捧げた。
私、家族、民族、世界、人生のために祈りながらすすり泣いた。
続く