[記事]「私はただ最善を尽くして祈るだけ」(1)チョンミョンソク牧師とポンソク牧師

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チョンミョンソク牧師の弟、ポンソク牧師による記事(2007年執筆)

1970年代韓国は経済的に難しい時期で、その時ウォルミョンドンはこの上なく不毛で絶望の地だった。ジャングトン(伝道音楽楽器)のように狭い谷で棚田と傾斜のある焼き畑に頼って5世帯が集まって暮らしていた。

家の庭から石を投げたら前山に落ちてしまう本当に狭い谷、山の高さも高くて太陽は遅く昇って早く沈み、前後を振り返っても空だけ見え隠れするだけ、どこを見回しても希望はなかった。

「そうだ、故郷を離れよう。こう死んでもああ死んでも同じじゃないだろうか?」

私は父に申し出た。

「お父さん、ここで畑を耕して生きたところで毎日その繰り返しです。土地を百年堀ったところで無駄な苦労だし、時間だけむやみに過ぎていきます。ここから離れようと思います。どこに行くとしてもここよりはましではないですか?」

「離れるからと言って何か問題を解決する見当でもついてるのか?お前がどこかへ行ったら『いらっしゃって下さい』と言うところがあるのか?ご飯はただで出てくるのか?出でいったらどうやって生計を立てるんだ?だけど土地を掘ったら飢え死ぬことはない。土地は嘘をつかない。」

「土地が嘘をつかずお腹を空かせることはなかったけど、今考えるととても貧乏でこれからもちゃんと生きていける希望がありません。百年過ぎても同じでしょう。お父さんはうんざりしないのですか?私は離れます。」

「おい、お前! お前のお父さんも客地に行って数十年を苦労して働いたけれども結局手ぶらで家に帰ってきて今まで土地を掘って食べて生きてきた。出ていくと言って大したことない。ない人は出ても入ってきても何の意味もない。頼れる人がいるからやりやすいのであって、手ぶらで出て行って知らない人の下で一生使用人暮らしをして老いて死んでいくんだ。そうなるんだったらいっそのことここで主人になって楽に生きなさい。」

「お父さん! それでもここは嫌です。夢も希望もなく、人間らしく生きられません。死ぬとしても出て行って やれるだけやってみたから死にます」

「そんなに言うのならそうしなさい。私がやってあげられることもないのに、子供が行く道まで止めてはいけないだろう。行くなら行きなさい。お前も年をとったら親の心が分かるだろう。」

「お父さん、申し訳ございません。出て行って熱心にやってみます。」

「気にすることはない。大きくなったら自分の道を行くのが人生なのに、誰のせいにできようか?」

その日私は父と多くの話を分かちあい、話が終わった後、父は忠告をしてくれた。

「昔から私は他人に迷惑をかけたことがない。言葉でも他人の心を痛くさせたことがない。だからあなたも人の心を痛くさせるな。」

こうして故郷を離れるようになって、私の最初の客地生活はテジョンの小さい賃貸暮らしで始まった。仕事も探して、ある程度一人暮らしも慣れてきたある日、仕事を終えて家に帰ってくると先生(チョンミョンソク牧師)が部屋にいらっしゃっていた。

(続く)
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