[Word]天に栄光、地の平和/1999年12月19日 主日礼拝の御言葉

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新約聖書 ルカによる福音書2章11-14節
きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。あなたがたは、幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである」。するとたちまち、おびただしい天の軍勢が現れ、御使と一緒になって神をさんびして言った、「いと高きところでは、神に栄光があるように、/地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」。

イエス様がダビデの町に生まれたのですが、それがしるしだということです。

みんなは救い主が天から来るだろうと思ったし、神様が来るだろうと思っていました。しかし一人の女の人の体をとおして生まれて、この人間世界ではじまったのです。

天の天使と天軍たちが神様をほめたたえて、天には栄光、地には平和になるだろうと言いました。この世ではよく戦争がなくなったら平和だと言います。もちろんそうですが、神様に栄光になるためには、この地上に神様が送った救い主を中心としたとき、神様に栄光を帰することができるし、地上に平和をなすことができるということです。

戦争は終わりましたが、神様に栄光を帰することができないでいます。地上で人を殺す戦争が終わっているだけであって、平和の世界はありません。神様が送ったメシヤが現れるとき神様に栄光を帰するし、地の平和も根本的になされるということです。そうする時この地上が、人間が望む理想世界になれるということです。

人々が考える平和や理想世界ではなく、創造主である神様がこの地上の人々に願っていらっしゃる平和、それはただ神様の御心がこの地上になされて、その御心どおりに生きる時、初めてこの世の中が平和な世界になれるということです。

だから神様は神様に栄光を帰し、地上に平和をなすためにイエス様をこの地上に送ってくださったのです。私たちが天に栄光を帰することができるのは、神様を信じるようにさせることであり、そういう人たちと一つになる時、平和な世界がおこります。

人間同士が平和をとなえて平和な歴史をなそうとしますが、できないということです。なぜかというと、天は私たちの心と同じで、地上は私たちの肉体と同じだからです。私たち個人の理想世界がおこるためには肉体だけではできないということです。心もうれしく楽しくないといけません。霊魂も喜んで楽しまなければなりません。肉体だけが平和だからといって平和がなされるのではありません。

このように個人に縮小して考えるのと同じく、拡大しても、神様に栄光を帰する時この地上に平和が理想的になされます。しかし人々はこの地上だけでの平和な理想を求めています。だから平和になった、理想世界だと言っていますが、実はそうではありません。食べて着て寝ることはできました。それが全てだと思っていましたが、心霊に喜びがなければということです。それは肉的にだけ満足したのです。衣食住の問題が解決できたからといって全ての問題が解決できたのではありません。

心霊の喜びがなければ何でもないということです。霊的な問題、心の問題が解決できなければならないということです。

だから神様が送った救い主が来たら霊の問題と肉の問題を解決してくれるので、真の平和になるということです。

いわゆる人生のパンの問題だけを解決しようとしています。それが全てだと思っていますが、そうではないということです。死んでからは違います。その霊魂が闇の世界に行き、苦痛の世界へ行くのだったら、何の役に立つでしょうか。

キリストの福音が広がっていっても平和でないのは、神様に栄光を帰することができないから平和がもたらされないでいるのです。真の平和がこの地上にもたらされるためには、神様に真の栄光を帰し、神様を信じて仕えて敬い、全てなすべきことをなす時初めて、この地上に平和が正しくなされるのです。

個人的に見ても、神様に栄光を帰して仕えて神様のことを大事に思う時、自分の個人的な平和がもたらされるということです。肉的な平和がもたらされます。自分の霊魂が栄えるとき肉体も栄えると言いました。そのような法則があります。

だから私たちはいつも心霊の人生の問題はどうなるのかと哲学的に論じたし、みんなが論じています。どうして生きるのか、その存在価値を知らないでいます。哲学でも解決できませんでした。

イエス様が平和の根本者として来られて、神様に心と思いと命を尽くして仕えなさいとおっしゃいました。そしてこの地上にいる兄弟同士がお互いに仲良く平和に暮らしなさいとおっしゃいました。「神様の御心をこの地上にあなたがたが実現しなさい。そしたらこの地上が天国になるだろう。いつも私が言うことは、地上のことが解決できるからと言ってそれが全てではない。天のことが解決できなければならない。」神様が解いてくださらなかったらこの地上の問題は解けません。そしてこの地上の問題を解かないでいたら、神様が天の問題を解いてくださらないんです。

キリストが来られたことがこの地上のしるしです。時代の神様が送った人がその時代のしるしです。それが天には栄光な事であり地上には平和なことだということです。人々が神様に栄光を帰することが出来なければ、肉的な世界の真の平和をなすことが出来ないということです。法則を外れたことだから、天法から外れたことだからです。だからどの民族でもどの国でもどんな個人でもどんな団体でも、真の平和を実現するためには、神様に栄光を帰し、その神様の御心を本人達が自ら実践しなければなりません。そうしないでは平和はもたらされません。

神様を信じて仕える民が幸いだといったし、それだけではなく、天を信じて地上にいる間生命圏の生き方が出来る時、心霊の喜びを味わうことが出来るということです。自分の霊魂が闇の世界に住んでいるから、肉体がいくらいいものを食べていい暮らしをしても、心霊的な喜びはなされないということです。こういうことが人間の最も究極的な問題です。

人生の価値観というものは何なのか、人生はどうして存在しているのか。神様の創造主の根本の御旨のために存在するなら、人生の問題は解決したことになります。信仰生活をし神様を信じてその時代の御心に従っていくなら、人生の唯一の御心を悟って実践して生きる人たちです。どんな制度でも出来ません。信仰世界でもその時代の時代性にしたがって行かなければなりません。

旧約時代の時は旧約の信仰生活をしなければならないし、新約時代には新約の信仰生活をしなければなりません。また成約時代がきたら成約の信仰生活をしなければなりません。そうする時精神的な問題が解け、理想世界がなされます。

イエス様の時代の時もイエス様を地上に送ったことがしるしだ、その方を信じていきなさいとおっしゃいました。イエス様は「私の言う言葉を聞いて私を遣わした方を信じなさい。そうすればあなた方の心霊に平和がもたらされるだろう。死亡から生命に移る復活の歴史が起こるだろう」とおっしゃいました。このようにその時代の神様の歴史にしたがっていかなくては心霊の問題は解決することは出来ません。霊的な問題を解決することはできません。だから時代にしたがって行かなくてはなりません。

果物も旬の時に実を結ばなかったら価値がありません。人には必ず神様の時を時代毎に下さいますが、人がその時に従っていかなくてはならないということです。神様は必ず時代の時を下さいます。旧約の時はモーセを送って下さったし、ヨシュアの時はヨシュアを、ノアの時にはノアを、アブラハムの時にはアブラハムを送って下さり、その時代毎に送って下さいました。その時に従っていかなければなりません。イエス様の時にはイエス様を送ってくださいました。イエス様のとき、イエス様を信じなかったなら、その時に神様に栄光を帰する人になれなかったし、平和が正しくなされることは出来なかったということです。心的な平和が正しくなされなかったら肉的な平和もなされません。

また、この時代はこの時代の御心に従って行かなければなりません。天の平和であり、地上の平和がなされることであり、自分の霊魂の平和、肉体の平和がなされることです。そうしなければ平和がなされないのです。

人間の成長を考えると、10歳まではどれだけのカロリーを摂取しなければならない、またどれだけの食べ物を食べなければならないということがあります。しかし20歳になっても10歳くらいのご飯を食べ10歳のように行動をしたら、心も行いにおいても満足できません。人間は自分の心が満たされなくて葛藤を感じるし、満足できないのです。そういうものを満たすためには、その時代に従っていかなければなりません。神様がその時代に下さった全ての法則にしたがって行かなければなりません。そうしないとその量を満たすことは出来ません。

すべての法則にふさわしいものにしたがって行う時満足できるのであって、そうでなかったら満足できないということです。神様がこのように時代にしたがって、預言者を送るべき時には預言者を送り、メシヤを送るべき時にはメシヤを送り、王たちを送って治めるべき時には王たちを送ります。その時に合わせてその方にしたがって行かなければなりません。そうしたら彼らは自分の行いに応じて祝福を受けるし、神様が働きかけて下さいます。

農夫が秋になって春にまくべき種をまいたとしたら、その種から芽が出ず、農夫の苦労は無駄になるでしょう。農夫は種をまいたから生えて来るだろうと思いますが、時にしたがって種をまかなかったことで収穫することは出来ない、ということです。私達も神様の時に合わせて時代を生きて行かなくてはなりません。それではこの時代はどういう時代なのか。

イエス様が「どうしてこんなに知らないのか。天気は見分けることが出来るのにどうして時代を見分けることが出来ないのか。時代を見分けなさい」とおっしゃいました。その時代は既に神様の新しい歴史が始まって、しもべのくびきを脱ぎ捨て、子として地上の平和を楽しんで神様に栄光を帰して生きるべき時だと言いました。どうしてしもべのくびきを背負っているのかとおっしゃいました。今の時代もどういう時代なのか。天気を見分けることは出来るのにどうして時代を見分けることが出来ないのか。既に2千年が過ぎようとしているのに。

神様は必ず時を守ります。時になったら人がいてもいなくても鐘を鳴らして歴史を始める神様です。旧約が終わったら、旧約人達が信じても信じなくても、ついて来ても来なくても、新約の歴史を始めるのです。むしろ神様を信じていなかった人たちがイエス様に従って来るとしても、神様はそのまま歴史を進めます。今も2千年になったらメシヤがくると約束したから、その約束をなしていくのです。時間になったから行かなくてはならないんじゃないですか。

このように一つの時代が終われば歴史が始まっているということです。雲がかかって太陽が見えなくてもすでに太陽が昇っているということです。この地球村のことも同じで、神様の時になったら進行しているということです。新約の時ユダヤ人たちが信じても信じなくても、すでに神様は降臨なさって歴史を始めたのです。イエス様を通しておっしゃり、イエス様がモデルになりました。

時代にしたがっていく人は本当にまれです。その時代にしたがっていく時だけ、その時にふさわしい実を結ぶことができるし、神様の歴史が起こるようになります。だからその時代にしたがっていけば、自動的に突風の吹き荒れる歴史に入っていくことになります。そうしたら歴史について行けるようになります。いつもその時代は神様が導く中心主管圏の中に入っていなければなりません。そこに入れなかったら遅れをとることになります。より旧時代の既存性に残ることになります。機転のきく人たちは時代に早くついて行けます。

今日は「天に栄光、地の平和」という題で御言葉を伝えました。天に栄光を帰する時地上に真の平和がもたらされる。絶対根源者に栄光を帰さなければなりません。必ず地上に神様が送った人を中心にする時、その歴史がなされます。いつも神様の歴史はその時代に必ず始まる。その歴史にしたがって行かなければならない。それについていけなかったら100年、200年遅れをとることになる。そうしたら肉体も霊魂も損になるということです。

どうしてイエス様を御旨のために私達にこの世に送って下さったのか、キリストの生誕を再び考えなければなりません。地上に理想的な歴史をなすために来られました。新しくなさるその計画に入らなければなりません。地上でなされる時天でもなされるのですが、地上でなされなかったら天でもなすことは出来ません。この地上で始まった新しい神様の歴史に参加する時天の国を受け継ぐことが出来る、ということです。

1999年12月19日  主日の御言葉 主題:「天に栄光、地の平和」

説教者:チョンミョンソク牧師

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