[Word]「招かれざる客」ー2026年8月16日 主日礼拝より抜粋

キリスト教福音宣教会 CGMNAVI (2)20260816招かれざる客
  • URLをコピーしました!

マタイによる福音書22章11~13節『王は客を迎えようとしてはいってきたが、そこに礼服をつけていないひとりの人を見て、彼に言った、『友よ、どうしてあなたは礼服をつけないで、ここにはいってきたのですか』。しかし、彼は黙っていた。そこで、王はそばの者たちに言った、『この者の手足をしばって、外の暗やみにほうり出せ。そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう』。』

ルカによる福音書22章44~46節『イエスは苦しみもだえて、ますます切に祈られた。そして、その汗が血のしたたりのように地に落ちた。祈を終えて立ちあがり、弟子たちのところへ行かれると、彼らが悲しみのはて寝入っているのをごらんになって言われた、「なぜ眠っているのか。誘惑に陥らないように、起きて祈っていなさい」。』

ヨハネによる福音書10章1節『よくよくあなたがたに言っておく。羊の囲いにはいるのに、門からでなく、ほかの所からのりこえて来る者は、盗人であり、強盗である。』

エペソ人への手紙5章16節『今の時を生かして用いなさい。今は悪い時代なのである。』

ハレルヤ!今日は「招かれざる客」という主題で特別な御言葉を伝えます。

神様は「人々と負担になる約束をするな。招かれざる客たちだ」とおっしゃいました。

人との約束も守るのだから、神様に約束したことはもっとよく守らなければなりません。
「招かれざる客のように、各自自分の時間の招かれざる客がある。悟りなさい」

明け方の祈りの時間の招かれざる客は、眠りと雑多な考えです。このほかに生活の中でもさまざまな雑多な時間は、招かれざる客のようなことをする時間です。

‐不必要なことをする時間、遊ぶ時間が招かれざる客です。

‐自分中心・自分の意志・自分の考えの生、肉的な生などはすべて招かれざる客たちです。

‐雑念、雑多な考え、雑多な仕事、必要のないこともすべて招かれざる客たちです。

毎日このような招かれざる客が訪ねてきます。この招かれざる客をなくさなければ成功できません。

神様と聖霊と行なうことは公的な仕事です。ただ神様、聖霊とすべきことだけをしなければなりません。

招かれざる客には顔を背け、捨てて生きてはじめて、その日その日毎日成功します。だから招かれざる客を100%なくすことです。

「人の前に二つの道がある。一つは死の道、失敗の道で、もう一つは命の道、成功の道だ」失敗の道に行けば成功の道には行けません。成功の道に行けば失敗の道には行かなくなります。

成功するためには、成功するその仕事にだけ没頭して行なってはじめて成功できます。特に最も成功する道である天の道に行かなければなりません。

ただ天の時間として使うことです。絶対に天と一体になった時間として使うのです。そうしてのみ天の道に行くようになります。天の道は心と思いと命を尽くして行かなければなりません。

神様がくださった時間だから、永遠に何一つ有益のない招かれざる客に奪われないで、そのようなものは切って、公的な時間として使うことです。
招かれざる客は時間の詐欺師と同じです。

同じ時間も、雑多な時間として過ごしたら雑多な人になります。真(しん)の時間として過ごしたら真の人になります。

いつも自分の前に二つの道があると言いました。一つの道は成功の道、もう一つの道は失敗の道です。神様はそれを分別するようにと啓示してくださるのに、その啓示を、自分を合理化するほうに解いたら失敗します。神様は人が行こうとするその道が正しい道ではないとき、その時啓示して悟らせてくださいます。

啓示(神様からのメッセージ)は誰もが受けます。人々はその啓示をよく世の中の理致どおりに悟ります。

「どれが正しいか分別する時は、まず自分が悩んでいる問題を見てみなさい。当然なことは啓示しない。私は、人が当然だと思っているのに実際は違う時に啓示する。あなたの考えと反対にして悟りなさい」

このように啓示を受けても大きく二通りに解くことができます。片方は当然な内容で、もう片方は自分の考えと反対になる内容の時が多いです。神様と聖霊は「みんながそのように考えるけれども、そういうことではない」という時に啓示してくださるから、よく考えて分別する必要があります。

神様は正確に「これだ!」と雷が鳴るように話されることはなく、みんなが悟れる万物を文字にして啓示してくださいます。

ダニエル書でも知恵のある人だけが悟ると言いました。

旧約聖書

ダニエル書 12:10『多くの者は、自分を清め、自分を白くし、かつ練られるでしょう。しかし、悪い者は悪い事をおこない、ひとりも悟ることはないが、賢い者は悟るでしょう。』

知恵のある人だけが悟り、主人になって、すべきことはするし、すべきでないことはしません。

「生活する中で悟りなさい。問題で答えが決まる」
例えば学校で試験を受けるとき、神様が正解を100%啓示してくださらなくても、自分が勉強したなら十分答えを書けます。自分が勉強したら試験問題の答えが分かるように、人生の生もすべてのことを、100%啓示を受けなくても、ほとんど自分が知ることができます。

世の中で富栄華を極め、栄光を受けている人たちも、神様の啓示を受けなくても、自分が働く中で順理の理致と法則を自ら悟って、そのことを行なって成功した人が多いのではありませんか。

啓示は神様が神様の御心を成す時、特別な時だけしてくださいます。神様は必ずしてあげるべきことだけを啓示してくださいますが、各自その分野の使命者を通してしてくださいます。使命者たちは神様が創造なさった万物と法則を学び、その啓示を使いつつ行なって得るのです。

みんな自分の仕事において努力したらその仕事についてよく分かるようになります。分かることが啓示です。

<今まで話したことを一つの例で説明します。>

自分の状況によって分別して解く必要があります。雨が降らなければならないとき雲がかかったことは自分に差し迫ったこの状況もよいと解き、雨が降ってはいけないときに雲が見えたら自分の状況もこのように危ないと解くのです。

啓示の答えは大きく二つのうちの一つです。それなのに「これが当然なことだ」と考えて、自分が好きなとおりにばかり啓示を解いたら、自分の主観的な判断です。

うまくいくとばかり信じてはいけません。うまくいく方にばかり啓示を解いてもいけません。
「実体を見なさい。騙されずに栄えるためには、自分が一つ一つ労苦して働きつつ見なさい。それは間違いのない答えだ」

聖書の解釈も大きく二通りです。

‐一つは「イエス様の肉が復活して天に行って、再臨の時も肉が雲に乗って来られる」です。

‐もう一つは「イエス様の肉は亡くなられたけれども霊が死によって崩れなかったので、霊が昇天なさって、新約2000年が終わり、霊が再び来られる」です。

歴史のはじめから「イエス様の肉は亡くなられ、霊が昇天なさった。だから霊が再臨なさる」と言いました。そのとおりになりました。

いつも人生は二つの道のうちの一つの道にしか行けません。

私たちはイエス様が再び来られることについて「聖書の雲は実際の雲と関係なく、群衆の雲と関係がある」と聖書を解きました。

新約聖書 黙示録20:3

『そして、底知れぬ所に投げ込み、入口を閉じてその上に封印し、千年の期間が終るまで、諸国民を惑わすことがないようにしておいた。その後、しばらくの間だけ解放されることになっていた。』

「間違っていることは永遠に間違いだ。間違っていることは多くの人たちが正しいと言っても成されない。少数の人が主張しても、真理ならそれは成される。世論化して行なっても西からは日が昇らない。偽り、非真理は滅び、成されることもない。神様が遣わした人を通して正しく学び、正しく信じ、正しく生きなさい。真理だけが成される。」

神様は真理でいらっしゃいます。

学問の世界でも非論理的な理論は、より完全な理論が来たらなくなりました。以前は大半が天動説を信じて太陽が動くと言ったけれども、これは非論理的です。今は太陽は動かず、地球が動くという、より真の論理的である地動説が来たので、非論理的な天動説はなくなりました。

聖書も時代的な背景を分かって解いたら完全です。

新約聖書

黙示録22:12『「見よ、わたしはすぐに来る。報いを携えてきて、それぞれのしわざに応じて報いよう。』

旧約聖書

エレミヤ書17:10『「主であるわたしは心を探り、思いを試みる。おのおのに、その道にしたがい、その行いの実によって報いをするためである」。』

この聖句によっても絶対予定ではないことが分かります。行なうとおりに予定なさることが明白です。

神様は「行なうとおりに私が報いるからどんなによいか」とおっしゃいました。自分が願うことを行なったとき、それが不義でない神様の御心であるなら成してくださるから、行なったとおりに報いてくださることはいいことです。

聖書に「絶対予定」もあります。

新約聖書

ガラテヤ人への手紙 1:15『ところが、母の胎内にある時からわたしを聖別し、み恵みをもってわたしをお召しになったかたが、』

ローマ人への手紙 9:21『陶器を造る者は、同じ土くれから、一つを尊い器に、他を卑しい器に造りあげる権能がないのであろうか。』

神様は絶対的な御心は絶対に予定なさいます。

ただし神様の御心が人間の行ないと重なっていれば、人間が責任を果たすのを見て予定なさいます。行なうことを見てそれに従って予定してくださるということです。

世の中の多くの人たちが予定に縛られずに、熱心にがんばって行なって得ています。研究し努力したのに失敗したら、それでもまた立ち上がって行ない、またやります。聖書を読まず神様を信じないとしても、誰でも熱心にやればその方面で行なった分だけは得ます。神様が行なったとおりに与えるとおっしゃったからです。

聖書で「神様の園の木々がレバノンの木々を羨むようにさせた。神様を信じる人たちが、信じない人たちが熱心に行なって得たのを見て、羨むようにさせた。神様の存在を信じながらも神様の御言葉をよく聞かないから、むしろ異邦人たちが栄えるようにして、これを見て妬むようにさせた」と言いました。

旧約聖書 エゼキエル書 31:8~9『神の園の香柏も、これと競うことはできない。もみの木もその枝葉に及ばない。けやきもその枝と比べられない。神の園のすべての木も、その麗しきこと、これに比すべきものはない。わたしはその枝を多くして、これを美しくした。神の園にあるエデンの木は皆これをうらやんだ。』

神様を信じても間違った信じ方をしてはいけません。神様を信じても、完全に信じ、完全に行なってはじめて栄えます。

問題も聖書にあり、答えも聖書にあります。

時代の福音を聞いてその人のことを分かって信じて生きれば、神様を信じるその心霊が生き返ります。肉が死亡圏から生命圏に出て来て生きることと同じく、霊も死から生命圏に来るようになって復活の生を生きます。完全な真理どおりに神様を信じ生きることが一種の復活です。異邦人もこのような理にかなった真理の言葉は聞いて信じます。

肉は一度死んだら終わり、そのあとは霊でだけ働きかけます。

新約聖書 ヘブル人への手紙 9:27~28

『そして、一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっているように、キリストもまた、多くの人の罪を負うために、一度だけご自身をささげられた後、彼を待ち望んでいる人々に、罪を負うためではなしに二度目に現れて、救を与えられるのである。』

神様の歴史を見てもそうです。預言者も、王も、メシヤ・イエス様も肉は一度死んだら終わりました。神様は「肉体が死んだけれども生き返るという肉の復活の非真理は、誰が話しても永遠に信じるな。聖書を正しく読みなさい。これは霊的なことを指して話した。聖書を詳しく読んで、言わんとしていることを知りなさい。言わんとしていることが分からずに、間違って行なうな」とおっしゃいました。

聖書を読むと、来なさいと言った人たちは来ないで、貧しい人たち、病人たちが来ました。言わんとしたことが分からなくて、来なかったのです。

(ルカ14:16~21)『そこでイエスが言われた、「ある人が盛大な晩餐会を催して、大ぜいの人を招いた。晩餐の時刻になったので、招いておいた人たちのもとに僕を送って、『さあ、おいでください。もう準備ができましたから』と言わせた。ところが、みんな一様に断りはじめた。最初の人は、・・・僕は帰ってきて、以上の事を主人に報告した。すると家の主人はおこって僕に言った、『いますぐに、町の大通りや小道へ行って、貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の悪い人などを、ここへ連れてきなさい』。』

神様は「聖書は比喩で話し、霊的に話した。しかし、みんな霊的なことが分からないから肉的に文字どおりに理解した。あなたたちはみんな正しく分かったから、伝えなさい。あなたたちが理解したとおりに、あなたたちも理解できるようにさせてあげなさい。放っておいたら、そのままずっとその道へと転がっていく。彼らは精神が定かでないので分からない。止めてあげたら、それ以上転がらずに終わる」とおっしゃいました。

人生の道はつくっていない小道とつくった道、二つの道です。つくった道へ行く人だけがつくっていない小道へ行く人のことが分かって、導き出して正しい道を悟らせてあげます。

神様は「間違ったものは招かれざる客たちだ。だから害になる。一切切りなさい」とおっしゃいました。無知と非真理は招かれざる客たちです。

「招かれざる客のような時間を過ごしながら、自分がそれに中毒になり、体質になって喜ぶ。分からないから黄金の時間を迎えることができない。条件がないから仕方なく招かれざる客を迎え、もったいなく時間を過ごす。神様を迎え神様の御心を行なって生きる人は招かれざる客のことを分かって制止する。

人は同じ時間に二つの道へ行くことはできない。一人が東へ、西へと同時に行くことはできない。<招かれざる客の時間の道>あるいは<黄金の時間の道>、二つのうち一つだけを選んで行く。

毎日一つ一つ見て、判断し、確認し、必要のないこと、招かれざる客はないのか見て行ないなさい。毎日二つの道があなたの前に来る。行くべき道は一つだ。すべきことは一つだ。もう一つは招かれざる客だ。正しくすべきことをしていってのみ100%成功する生を生きた人だ。

招かれざる客の道へ行く人は神様の永遠な命の道に出会えない。

自分が分別し確認すれば間違いない。いつも主人公が責任を果たさなければならない。自分の人生の主人公は自分だから、自分の人生を必ず分別し、正しい道へだけ行きなさい。

精神一到し目的を行なうことにおいてほかの考えは招かれざる客だ。特に祈りのとき悪霊、悪魔、招かれざる客がたくさん来る。言葉で主の名を呼んで、悪霊、悪魔、サタンを退かせてから祈りなさい。」

真理は「時代に遣わした救い人」です。真理でなければ救えません。真理を悟り、翻す時から害を受けません。神様が時代にくださった御言葉がすべてのことの最高のプログラムであり、材料です。イエス様は「『私が真理だ。道だ。命だ』と言ったことを悟りなさい」とおっしゃいました。

「各自行なったとおりにその都度もらう。自分の行ないの対価、代価だ。行ないどおりにもらって食べて、その主管圏で生きていく。私神様に向けて行ないなさい」

神様に向けて行(い)ったときに神様がくださるものを刈り取ります。地に向けて行なえば地上のものだけを刈り取ります。地上のものでも神様がくださるものであれば天のものです。

みんなこの御言葉で招かれざる客のようなものを分別して、招かれざる客はすべて切り、なくし、完全な道にだけ行くことを祝福します。聖霊の愛の平安を祈ります。

説教者:チョンミョンソク牧師

  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次