昔は聖書も摂理の御言葉も必要ありませんでした
そもそも知らなかったんです。御言葉も、聖書も(-ω-)
聞いたことも無いのに、必要かどうかなんてわからないですよね。
私が聖書、摂理の御言葉を必要と思ったのは、実際に聞いてみてからでした(´∀`)
聖書の中では、摂理の御言葉の中では、神様がどんなことを考えているのかがよく分かります。
神様がいま何を思っているのか、知りたいから必要
私にとって聖書や摂理の御言葉は、神様がいま何を思っているのか、知りたいから必要なのです。
聖書を読みながら過去、神様がどのように人間に接してきたのか。
また摂理の御言葉を通しながら、今何を神様が考えていらっしゃるのか。
それを知りたいから聞くのです。
一番はっきりした神様のメッセージがもらえるのは御言葉であり聖書です。
神様やキリストが話された言葉が記録されている聖書、御言葉が本当に必要なのです。
実際に行ってみてから必要さを深く実感
また、神様のことを知るだけではなく自分にとっても本当に必要だと深く実感したのは、摂理の御言葉を実際にやってみてからでした!
例えば「確認する」という御言葉が出た時は、「確認」を仕事の中でいつも以上に心がけてみます。
そうすると、「あ、これはミスってた!直さなきゃ!」ということが出てくるわけです!
ああ、御言葉を聞いておいてよかった・・・と思うのです。
最初から必要と思っていた人もいるかもしれませんが、私はこんな感じで必要だなと思う段階がどんどん上がっていきましたヽ(´∀`。)ノ
人は言われても、<必要性>を分かって悟ってこそ行なうようになる。
この御言葉を生活の中で命のように思って行ないなさい。
鄭明析牧師の明け方の御言葉より
アーメン。
行って必要性を感じ、また御言葉を聞いて行って更に必要性を感じ。
今では食べ物を食べるように、御言葉が必要になりました。
続けて聖書、御言葉を通して神様のことを知り、生活の中で御言葉を実際に行っていく私になっていきたいですヽ(´∀`。)ノ