<度が過ぎる>ということは「線を越えた」ということだ

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善なり悪なり、度が過ぎるほど行なうな。

善を行なうといって度が過ぎるほど節制して行なったら、「よいこと」もたくさん逃すことになる。

言葉が多ければミスをたくさん犯すといって「言うべきこと」まで言わなければ損だ。

たくさん行なったらミスを犯して損をするといって心理的に委縮し「行なうべきこと」も行なわなければ、むしろ損になる。

夜、蚊を捕まえるといって殺虫剤を度が過ぎるほどたくさん撒いたら、呼吸器にとって毒薬になって、部屋にいられなくなる。これと同じく、「度が過ぎた叱りつけ、度が過ぎた言葉、度が過ぎた運動、度が過ぎた行為」によってどれほど損をするのか、知りなさい。

<悪感情で行なう人>は「心に悪感情の性根がある人」だ。

ユダヤの宗教人たちはメシヤ・イエス様のことを度が過ぎるほど悪評を言い、排斥して接して、「救いの線」から外れ、「基本の道理」から外れ、「自分の位置」から外れて、むしろ神様に対抗するようになった。

 

どんなことでも度が過ぎるほど行なったら「損」になり、「無知の中の相克」をするようになる。

 

<度が過ぎる>ということは「線を越えた」ということだ。

<線を越える人たちを見ると「自分が中心にしていること、一つ」だけを考えて行なっているうちに線を越えるようになる。

2019年7月1日
摂理の みことばより

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