我が若き日の修道生活の日課(4)ー鄭明析牧師

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ー鄭明析牧師が自身の若き頃、修道生活をしたときの話ー
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家の仕事があれほど忙しかったにもかかわらず、私は暇さえあれば抜け出そうとした。肉体もそうだが、私の霊魂が耐えることができなかった。私の肉体と霊魂は明け方の3時からその日1日のため、未来のために冷水浴で準備し、磨き削っておいたのに、たかが縄ないぐらいの仕事をしなければならないことが本当に情けなかった。

仕事が手につかなかった。いつも退屈でうんざりする苦しい仕事だった。結局心の中でもがきながら、私はそのやりきれない場所を抜け出して、山へ行った。タリコル祈祷窟である。

私の天国だ。賛美すると私の心は舞い上がり、肉体も地面からふわっと浮くような気分になった。

『我が霊魂の深い所から』、『我が喜び我が望み』という曲を賛美した。30回くらい歌わないとすっきりしなかった。

聖書はその時その時の感動のままに読んでいった。潜在意識の中の世界、感動のひと時であった。そうした後にお祈りに入ると深く入るので、長い夜が一瞬にして過ぎ去り、あっという間に一週間も過ぎ去っていった。お祈りもするのだが、呆れるほど夜が退屈なことも度々あった。

深い真理を悟って、走っていく先は伝道の場だ。叫んでもきりがないし、教えてもやはりきりがなかった。御言葉に火がつき、あちこち回りながら叫んでいくうちに、長かった1日もすっかり暮れて、夕闇が迫ってくる。

家に帰れば御飯を食べることができて良いのだが、人参畑用の縄ないをしなければならないから、むしろ何も食べられなくても洞窟に入る方が私には気楽だった。それで初めから真っすぐ洞窟に向かい、そこで時間を過ごした。深い境地に入って世の中を眺めると、涙だけがとめどなく流れてきた。これが我が若き日の修道生活の日課であった。

手のもがきで小傑作品
体のもがきで大傑作品
霊のもがきでは千年代々の傑作品

(終わり)

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