鄭明析牧師がベトナム戦争に派遣されたとき、神様が命を守ってくださった話
私はベトナム戦争のとき、何回も死ぬ目にあいました。その中の一つを話します。
ヘリコプターに乗って上空500メートルのところでロープのはしごを上り下りする訓練を受けることになりました。7人乗りましたが、席が足りなくて、私はヘリコプターの地べたに座っていました。ヘリコプターの地べたの所は擦り減って滑りやすかったのです。ロープのはしごに乗ることを考え、はらはらして戦友たちと話をしていました。他の戦友たちは椅子に座って安全ベルトを締めていましたが、私は安全ベルトもしないまま、地べたにしゃがんでいたのです。
そのときヘリコプターが急にUターンをしました。それで傾いてしまったのです。訓練中はヘリコプターはいつもドアを開け放していますが、その時私は急に滑ってしまいました。一瞬のことだったので、隣にいた人も気づかないほど速く滑ってしまいました。座っていた人達は安全ベルトをしていても「うわー」と叫ぶぐらいでした。
ドアを開けて飛ぶので、安全ベルトを締めていてもめまいがするくらいでした。私は落ちるだろうと思って、落ちたらジャンプをしようと思いました。ですが滑っていく途中、かかとが引っかかりました。ヘリコプターのドアのレールがありましたが、そこにかかとが引っかかったのです。そこは100回、1000回練習してもなかなか引っかからないところです。
それに私は20キロの背嚢を背負っていたので、その重さもあって私の体の中心は前に傾いていました。それでもヘリコプターがUターンして戻るまで、ドアのレールにかかとが引っかかったまま体は宙にういた状態で、しばらく過ぎました。
その時は、うちの母も父も先祖も兄たちも、誰も私を支えてくれる人はいませんでした。隣の人も私を掴まえることはできませんでした。私自らも何も掴まえることができませんでした。そして、何かを掴まえたとしても、力がぬけて落ちてしまったでしょう。しかし、あの時落ちなかったから死ななかったので、今日このようにみなさんに会えたのです。
あの時に助けてくださった方を私は第一原因存在者、神様と思って仕えてきました。そのようにしてくださっても神様は「私がやってあげた」と言ったことはありません。長い歳月が経って、私が自ら自分で悟るようにしてくださっただけです。ただ私を救って下さった方だけが神様だと、私は肝に銘じるようになりました。その方を私が永遠に仕えるべき根源者だと信じて悟って確認して、今日もその方を信じて仕えるためにきました。その方は本当に人格的な神様であり、自慢なさらない神様であることを悟るようになりました。もし、人間が助けてくれたなら、死ぬまで電話をかけ、「あの時助けてあげたことを考えながら暮らしなさい」といったでしょう。
私は祈るたびにあの時のことを思います。そういうときも助けてくださったから、今もいつも助けて下さることを絶対信じて、どんな困難にも自負心を失わないし、肯定的な考え方を失わないで、熱心に神様が与えてくださった仕事を忠誠を尽くしてやっています。
一度だけ助けてくださったとしても、死なないで助かったから、永遠に感謝をして、死ぬときまでその話をしないではいられないんです。私はこのような死の渓谷から60回以上も助かりました。
みなさんも、そのような死の世界から助かったことをおろそかに思わないで、証をし感謝をし、その名前を伝えることが、命を助けてもらった人としてのなすべきことだということです。そうする時、また困難なことにぶつかった時助けてくださる神様になるということです。
私の話を聞いていた人の中である人が、「私も似たようなことがある」と言い、「この時間感動を受けて耐えられないから、私にも話せる時間をください。」と言ったので、マイクを渡したら、自分のことを証をして「私は偶然だと思っていましたが、神様は私を助けてくださったということを今日深く悟りました。今日は私が神様を信じるようになった夜です。残りの人生を神様を信じて生きます。」と熱く語りました。聞いていたみんなが自分も話がしたいと言いましたが、時間がなくてそのまま終って、みんな神様に感謝感激を捧げ栄光を帰する夜になりました。
1999年6月27日 鄭明析牧師