子供の頃から身近だった霊界、死後の世界
私は子供の頃から霊界が身近だった。
家族全員、霊界があること、死後の世界があることを疑う人はだれ一人いなかった。
ある前提で話をしていた。
あるなしで議論になったことなど一度も無かった。
私の周りにいた友達も、霊があるとか、幽霊を見たとか、死後はどうなるとか
そういうことを当たり前のように話す人達ばかりだった。
そんな幼少時代だったから、テレビで誰かが霊界について話す特集などあれば必ず見ていた。
ホラーが好きなんじゃない。ちなみにホラー映画はまともに一つも見たことない。
ただ死後の世界に興味があったのだ。
でも延々とそういう特集を見た結果。
「よく分からない世界だ(-ω-)」
というのが私の結論だった。
想像上の霊界と、実際の霊界
死んだら必ず誰もが、もれなく100%行く世界。それが霊界。
その霊界について、摂理に来て詳しく聞くところとなった。
今では霊界についての講義、摂理のバイブルスタディも私自身が話せるくらいにはなった。
どんな世界でもそうだが行ったことの無い場所というのは 大抵、事前に想像していたのと違うことが多い。
そうではないだろうか。
そこが間違いないと思って行ったが、実際に行ってみたら砂漠だった。
そうしたら、そこでさまよって生きていく。
そのように、霊界について何となくでも想像しながら死んで実際に霊の世界に行ってみたら果たしてどうなる?
全く違う世界に驚くことだろう。
<霊の世界>は実体の世界だ。
100%ある世界だ。
霊界について知る必要性
この霊界について知ってると知らないとでは、自分の生き方が大きく変化する。
何故か?
スポーツも、どのように練習したかで、どこまで試合で成績を残せるかが変わってくる。
<現在の生>が<結局>を決定すると先日の摂理の主日礼拝でも御言葉があったが、まさにそうだ。
結局、行った通りに物事が進むように、自分がどう生きるかで霊界のどこにいくかが大きく関わってくる。
行く世界について知っておいてはじめて
どのように準備したらいいのかが分かる。
神様に聞かなければ分からない霊界
<自分が考えた世界>は根拠もなく、痕跡もない。
人間が太古の昔、地球は丸いわけではなく端っこがあると考えていた。
しかし実際は違った。
それと同じことが霊界でも起こる。
自分が考えた世界は、結局は存在しない。
結局、霊界も神様に聞かなければ分からない。
「死んだら分かる」
それはどうだろうか。
アメリカに行ったらアメリカの全てが分かるのか?
そうではない。
日本に何十年住んでいたって日本の全てのことは分からない。
ましてや。
霊界はこの地球より、宇宙より、比べ物にならないくらい広い。
それは誰が考えてもそうだろう。
天国が地球より小さいか?
地獄が地球より小さいか?
全てを知ってるのは結局は神様だけ。
だから御言葉を聞きながら、神様に祈り求めながら霊界について一つ、また一つ悟っていく。
葬儀に出た摂理メンバーのひとこと
亡くなった人とどうやってもう一度会えるだろう。
どうやったら会えるだろう。
あまりにも広いこの世界ですら、人と会うって実はものすごく奇跡で大変なことなのに
霊界に行ったら、どうやったら大切な人に会える?
ある摂理のメンバーは、大事な人の葬儀が終わった後にこう言った。
「寂しさを感じるけれども。。。確信を持って【また、会いましょう】と故人に言えることが本当に幸せです。」
なぜ、彼はこう言えたのだろう?
それは摂理の御言葉で霊界についてハッキリと学んだから。
どうしたら会えるか分かっているから。
肉体が亡くなった後、どうなるのかをハッキリと知っているから。
霊界について学ぶ祝福は、こういうところにもあるところを最後に付け加えたい。