摂理の御言葉で
「亡くなった人が、また会いに来るよー」
と言われたら、オカルトかい!!と思いませんか。
残念ですが既に聖書に書かれてるのです。旧約にも新約にも。
ひぃ。やはり聖書はオカルト本かい。
でも子供の頃、
「お盆は亡くなったおじいちゃんが会いに来るの」
って言われて
「ちょっとお母さん、変なこと言わないでよー。怖いじゃん。」
と思いました。
だって亡くなった人ですよ。
どうやって来るんですか。
でも聖書にはハッキリ書いてあるのです。
旧約聖書 マラキ書4章5節
見よ、主の大いなる恐るべき日が来る前に、わたしは預言者エリヤをあなたがたにつかわす。
これを再臨と言います。再び臨む、再び来る。
マラキ書とは旧約聖書の最後にあります。
書かれた年代は紀元前430年くらい。
ここで出てくるエリヤという人は、このマラキ書が書かれる前、とっくの昔に亡くなっています。
紀元前875年くらい。
その差は約400年以上!
400年前に死んだ人が再び来るって書いてある!
今の時代から400年前と言ったら、分かりやすいところで徳川家康の1600年関ヶ原の戦い。
「徳川家康が再び来るって!」と言われたらどうでしょう。そういうCMもありますがね^^;大抵の人は本気で信じないのではないでしょうか。
しかし聖書は、一度ならず二度までも、このように「既に亡くなった人がまた来る」という話をハッキリと書いています。「再び来る」つまり再臨すると。
新約聖書 使徒行伝1章9~11節
こう言い終ると、イエスは彼らの見ている前で天に上げられ、雲に迎えられて、その姿が見えなくなった。イエスの上って行かれるとき、彼らが天を見つめていると、見よ、白い衣を着たふたりの人が、彼らのそばに立っていて言った、「ガリラヤの人たちよ、なぜ天を仰いで立っているのか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになるであろう」。
聖書は本当に不思議な本で、きちんと学ばないとかなりおかしい本で終わってしまう。
「エリヤは実際に再び来た」
ことが分かる聖句が新約聖書にあるんだけど、それを学ぶとああそういう意味かということがよく分かる。
エリヤはどうやって新約の時に来て、そしてイエス様が再び来るとき、つまり再臨する時はどうなのか・・・?
死んだ人は二度と来ることは無いということを、摂理の御言葉で学んだ。でもそれは聖書を否定するものではなかった。
詳しくは、お近くの摂理教会までどうぞ(〃ω〃)