摂理のバイブルスタディー「エリヤとカラスのパン」

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ペテロと魚に続き、摂理で初めのほうに聞く講義。
摂理の講義は、よく短縮されるww
エリヤとカラスのパンだったら
「エリカラ」。
誰が短縮しはじめたのかは定かではないww
さてこの講義の聖句はこれ。
<列王上17:1-6>
ギレアデのテシベに住むテシベびとエリヤはアハブに言った、
「わたしの仕えているイスラエルの神、主は生きておられます。
わたしの言葉のないうちは、数年雨も露もないでしょう」。
主の言葉がエリヤに臨んだ、
「ここを去って東におもむき、ヨルダンの東にあるケリテ川のほとりに身を隠しなさい。
そしてその川の水を飲みなさい。わたしはからすに命じて、そこであなたを養わせよう」。
エリヤは行って、主の言葉のとおりにした。
すなわち行って、ヨルダンの東にあるケリテ川のほとりに住んだ。
すると、からすが朝ごとに彼の所にパンと肉を運び、また夕ごとにパンと肉を運んできた。
そして彼はその川の水を飲んだ。

Icon copyright Greek Orthodox Archdiocese of America
聖書は核心的にしか書かれておらず、その時代背景を考えながら読むことが大切だと言った。
特にこの聖句にある
「エリヤはアハブに言った」
この事実一つとっても深い事実が隠されている。
アハブは王様だ。
エリヤは預言者だ。
神様から見たらエリヤの地位は高いが、
アハブは仮にも王様。
王様に物申すというのがどれだけのことだっただろうか。
世界各国に王族、皇族はいるがその人に物申すとしたらどうなるか・・・?
何か伝えるにしても物凄く決心がいることではないか。
文字通り命を懸けることではないか?
エリヤは神様の言葉を携え、アハブ王に会ったが案の定、追われる立場になった。
前回のペテロ同様、またもや犯罪者扱いだ。
エリヤは身を隠し、神様に養われること3年。
エリヤとカラスのパンの講義はこのあたりで終わることも多いだろう。
核心部分がここだからだ。
(聞きたい方は摂理へどうぞいらしてください( ̄∇ ̄*)ゞ)
私はエリヤの一生についてもう少し、この講義の中で聞いていた。
エリヤは3年の後、アハブ王の前に再度姿を現し
850人のバアルアシラの預言者と、たった一人で戦った。
牛をたきぎの上に乗せ、それぞれの神に祈って先にたきぎに火がついたほうが勝ちという方法。
このシチュエーションも考えたら恐ろしい。
自分を殺すかもしれない人達850人を目の前に
いや実際はもっといた。
誰一人味方がいるわけではなかったこの状況に
エリヤは一歩も引かなかった。
ただ神様の思いを成し遂げるために、たった一人で戦った。
どんなにか神様の心をスッキリさせただろう。
私はこの場面の講義をするのがとても好きだし
話しを聞くのも好きだ。
なんて勇ましく、なんてかっこいいんだろう。
ただ残念なのは。
アハブ王の妻イゼベルの脅迫にそれおののいて逃げ
僕たちまでおいて逃げ
「自分の命をとってください」
と神様に懇願し、自暴自棄してしまったところだ。

ESCALANTE, Juan Antonio Frias y
( b. 1633, Cordoba, d. 1670, Madrid )
Staatliche Museen, Berlin
緊張の糸が途切れたのだろうか。
850人の預言者達に勝ったエリヤならば
絶対に脅迫に屈することも無かっただろうし
絶対に打ち勝てたはずだ。
私が当時、エリヤのそばにいたのなら・・・
エリヤに
「力を出してください!神様はあなたのそばにいます」
とでも応援出来たら良かっただろうか
なんて考えてしまう。

火の戦車で天に上るエリヤ ジョヴァンニ・バッティスタ
エリヤと同じ状況になったとしたら。
殉教するかもしれないという状況の中でも
神様の言葉を伝え
3年も身を隠し
犯罪人扱いされ
再びアハブ王の前に姿を現し
850人の預言者に打ち勝ち
イゼベルの脅しにも屈することなく人生を
私は終えることが出来ただろうか。
エリヤとカラスのパン。
またしても初級ながら深い講義である。

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