摂理のバイブルスタディ 「啓示論」

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啓示とは辞書を見ると
「よくわかるようにあらわし示すこと」
と書いてある。

ローマ人への手紙1章 17節
神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる。
これは、「信仰による義人は生きる」と書いてあるとおりである。 

たぶん、摂理の講義で私が一番伝えたであろう「啓示論」。
まだ私が講義しはじめたころ、摂理の先輩から
「好きな講義、興味ある講義から伝えてみたら?」
とアドバイスを受け、啓示論を伝えはじめた。
​私はよく夢を見るので、この啓示論に興味がとてもあったし、印象も深く残っていた。

この講義は
「神様が私達に話すとき、どのような方法を使って話されるのか」
という内容。

Masaru's Matchbox ブログより
特別啓示(直接語られる、御言葉や聖書)
自然啓示(自然万物とか)
超自然啓示(夢とか)について聞く。
特別啓示の中に
「直接語られる」
とあるんだけれども、今日はここをクローズアップ。

<創世記 12章1‐2節>
『 時に主はアブラムに言われた、
「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。
わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。
あなたは祝福の基となるであろう。』

<使徒行伝 9章4節>
『 彼は地に倒れたが、その時「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」
と呼びかける声を聞いた。』

<ダニエル書 10章1節>
ペルシャの王クロスの第三年に、ベルテシャザルと名づけられたダニエルに、一つの言葉が啓示されたが、
その言葉は真実であり、大いなる戦いを意味するものであった。
彼はその言葉に心を留め、その幻を悟った。

神様が直接語られる場合、旧約聖書、新約聖書を見ると全員の人に語るわけではなく
モーセ、ヨシュア、エリヤなどその時代の中心的な人物に語られる。
そして勿論、イエス様にも。
ここで一つ。
「この人達はどうやって神様を神様だと見分けたんだろう」
ということが気になる私。

自分に神様が語るとして
「神様だよー」
と現れるとする。
パターン1
神様だと最初から信じる(なんて素直だ)
パターン2
「神様と言ってるけれど本当に神様ですか?」
と聞き返す
パターン3
「は?あなたは誰?」
と疑いながら本人に聞く
パターン4
幻聴だと思って聞き流し、信じない
パターン5
神様だと偽装した誰かだと思って戦う
パターン6
その他(笑)
皆さんはどれだろうか。
いくら特別啓示、神様の声を直接聞くことがあったとしても
彼らだけが特別な能力をもっていたという記述はないし
そういう能力が必要だとも書いてない。

「認識一つだ」
摂理の御言葉より

神様の声を聞いた時に
神様だと判断できるようになるには
普段から神様のことについてとても詳しく
正しく認識していることが必要だ。

「祈るときは「心と考え」を<御子>に集中し、対話しなければならない。
そうしてこそ、御子の御言葉が心に聞こえてきて、感じられ、悟れる。」

鄭明析牧師の摂理の箴言より

神様の声を直接聞くことが出来た人々をみると
全員、普段から神様への祈りを欠かさなかった。
神様に無関心な人は誰もいなかった。

神様と聖霊様と御子の宮に来て、
あなたの事情を打ち明け、話し、願い求めなさい。
神様と聖霊様と御子はいつもその宮にいて、あなたと対話なさる。

鄭明析牧師の摂理の箴言より

彼らは、いつも神様と祈って対話しようとしていた。
答えがあってもなくても。

神様がふと話しかけた時に
神様を神様だと認識できたのは
毎日、彼らが神様に接しようと努力していたからだ。
毎日御言葉を聞き、毎日祈り。
努力を努力とも思わなかったんだろうな。

彼らが神様の声を聞けたという事実そのものも凄いけど
それより更に凄いのは、彼らの普段の姿勢だと私は思う。
優れたスポーツ選手が表彰台に立つ姿もかっこいいけれども
その裏に隠された普段からの努力。
それがあってこそなように
私達が見るべきは
啓示を受けた彼らの普段の姿勢にあると確信している。

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