[Word]イエス様は「見上げるほどの風采」が見当たらない姿だったが

イエス様 202106月明洞 キリスト教福音宣教会 (1)

人に「どのように思って接するか」によって状況が変わります。神様もそうでいらっしゃいます。

<尊敬すべき人>を尊敬し、<見上げるべき人>を見上げなければなりません。

ユダヤの宗教人たちはイエス様を至極見上げるべきだったが、分からなくて「神様が遣わしたメシヤ」を見上げることができず、「罪びと」として、「異端」として接しました。

<見上げるべき人>を見上げたら、行なったとおりに貴重に使います。「自分を見上げる人」を通して自分の言葉を伝えるようにさせ「使役者」にします。

神様と聖霊様は「神様と聖霊様を正しく知っている人」をお使いになります。深く祈ってこそ、全能なる神様も聖霊様も「見上げるべきところは何」なのか悟らせてくださいます。

イエス様は誰が見ても「見上げるほどの風采」が見当たらない姿でした。外見はそうだったけれども、実際はイエス様が「話され」たらみんなが驚きました。やはりイエス様は「メシヤ」でした。

ただ<神様と聖霊様と御子主>だけは見上げ、慕わなければなりません。

2019年4月22日月曜日明け方、主の御言葉

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