イエス様は神様に「よくやった」と言われました。しかしユダヤ人たちからは「よくやった」とは言われなくて、むしろ迫害を受けました。しかし自分に仕事を任せたその人にさえ「よくやった」と言われたら、それで成功したことになります。仕事を任せた人がほめるのが、本当にほめられたことだからです。仕事を任せた人に損をこうむらせなかった時だけ「よくやった」と言うのです。
それでは、そのように褒められて「よくやった」と言われるためにはどうすべきでしょうか。
5タラントもらった人は、それをもって主人のものをたくさん増やしてあげようと熱心に忠誠を尽くしました。それでイエス様が5タラントもらった人のことを、「よくやった。忠誠なる僕だ。おまえが小さいことに忠誠を尽くしたからもっと大きな仕事を任せよう」と言いました。
ところでイエス様は1タラントもらった人には、「私だからといって忠誠を尽くさないところから集めると思うのか。散らしたところから集めたし、まいたところから刈り入れるようになる。おまえは、それを知らなかったのか。」とおっしゃいました。それを見ても、イエス様も主人も忠誠を尽くして集めたということを悟るようになります。
忠誠を尽くしたときだけ「よくやった」と言われるようになるし、熱心に勤勉に働いたとき忠誠を尽くしたと言えるようになるということが分かります。主人にほめらた人達は、主人の物が小さい物でも忠誠を尽くして責任を持ってやったということです。忠誠な人でなければ忠誠な人を見分けることが出来ません。
モーセのことを神様は、忠誠な人だとおっしゃいました。
旧約聖書 民数記12章7節 しかし、わたしのしもべモーセとは、そうではない。彼はわたしの全家に忠信なる者である。
多くの天の使役者達、神様がその時代に送った人達にも忠誠なる人だとおっしゃいました。そしてイエス様には忠誠なる人、真理の人だとおっしゃいました。
新約聖書 ヨハネの黙示録 19章11節
またわたしが見ていると、天が開かれ、見よ、そこに白い馬がいた。それに乗っているかたは、「忠実で真実な者」と呼ばれ、義によってさばき、また、戦うかたである。
1999年5月16日 主日礼拝 主題:「よくやった」