[Word]最後の晩餐1ーイエス様の心

キリスト教福音宣教会 最後の晩餐
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イエス様が十字架で亡くなられる前、悪人たちの手に捕まる前に、イエス様は弟子たちと集まって、死と苦痛と逆境を目前にして、最後の話を交わしました。この集まりと出会いは、主が亡くなってから聖餐礼式になりました。
 

新約聖書 コリント第一の手紙 11章23-29節
11:23わたしは、主から受けたことを、また、あなたがたに伝えたのである。すなわち、主イエスは、渡される夜、パンをとり、 11:24感謝してこれをさき、そして言われた、「これはあなたがたのための、わたしのからだである。わたしを記念するため、このように行いなさい」。 11:25食事ののち、杯をも同じようにして言われた、「この杯は、わたしの血による新しい契約である。飲むたびに、わたしの記念として、このように行いなさい」。 11:26だから、あなたがたは、このパンを食し、この杯を飲むごとに、それによって、主がこられる時に至るまで、主の死を告げ知らせるのである。 11:27だから、ふさわしくないままでパンを食し主の杯を飲む者は、主のからだと血とを犯すのである。 11:28だれでもまず自分を吟味し、それからパンを食べ杯を飲むべきである。 11:29主のからだをわきまえないで飲み食いする者は、その飲み食いによって自分にさばきを招くからである。

 
主は死を目前にして、最後に話したいことがどれだけたくさんあったでしょうか。主にも目の前に死が待っていたし、弟子たちにも想像もできないほどの心的な苦痛が待っていました。主はご自身が苦痛を受ける姿を弟子たちが見ながら苦痛を受けることを思って、悲しみと痛みと悲哀を隠せませんでした。
 
弟子たちに話をしても、実際その状況が自分の身に起こってみなければ分からないから、弟子たちが主のその深い心情を知るはずがありませんでした。弟子たちはイエス様が悪人たちに追われて命を脅かされていることは分かっていましたが、「果たしてどうなるのだろう」と思い、心配、悩み、憂い、不安に満ちていただけでした。
 
主は死を目前にして、多くの言葉の中で、弟子たちにいくつかしか言えない瞬間に立っていました。その当時のイエス様と弟子たちの心情を話しても、なかなか実感が湧きません。直接体験したことのある人だけが、その心をよく分かって、その御言葉通りに生きます。
(続く)
 
2009年11月11日(水)コリント第一の手紙 11章23-29節
説教者:チョンミョンソク牧師

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