その日の夜、イエス様がおっしゃった言葉は、弟子たちだけではなく、イエス様を信じて従うことで救われて生きる、すべての人々にも同じく該当する御言葉でした。主はメシヤとして、義人として、罪人たちのためにその体を引き渡して、全人類の罪を代わりに背負う道を行くにあたり、遺言のようにおっしゃいました。
子供たちも、親が死ぬ時に残した遺言を守ります。恋人が死ぬ時に、最後に遺言を残したら、生きている人はそれが自分の精神になって守り、その言葉通りに生きるでしょう。
主は愛する弟子一人一人にパンを割いて与えて、「取って食べなさい。このパンは私の肉と同じだ。あなたたちのために私の命の肉を与える。これを食べれば、私の体があなたたちの体になるのだ。私があなたたちのために、全人類のために死ぬことで、あなたたちを永遠に生かす」とおっしゃいました。
また、杯にぶどう酒を注(つ)いであげて、「この杯を取って飲みなさい。これはあなたたちのために死んであげ、流す私の血と同じだ。象徴ではあるが、実際は私の血と同じだ。私の肉と血をあなたたちに与える。全人類に与える。これからあなたたちは私のお陰で生きるのだ。肉体だけでなく、あなたたちの霊魂までが永遠に生きるのだ」とおっしゃいました。
また、「みんな私の体になって、天の父が願っていらっしゃる御心をなしなさい。私が生きていた時にその御心をなしたように、私が生きていた時、いつもあなたたちに話したことを実践して、残りの人生を生きなければならない。はっきり言うが、あなたたちの体は私のものであり、私はあなたたちのものだ。信じるか」とおっしゃいました。
それに対して、弟子たちは「アーメン!」と答えました。しかし、イスカリオテのユダは返事がありませんでした。主はそのようなイスカリオテのユダをご覧になって、「返事しなくても分かる。返事してもらいたくもない」と思ったでしょう。
(続く)
2009年11月11日(水)コリント第一の手紙 11章23-29節
説教者:チョンミョンソク牧師