聖書に出て来る神様の人々を振り返って見ると、ノアも神様に仕え近くしていたので、時代を裁く時に「箱舟を作って私の裁きを免れなさい」と言われました。
アブラハムも信仰を守って神様に近くしたことで、いろいろな不義に溺れないで、時代の欲望に溺れないで、栄えることができました。
ヨブは艱難と迫害と苦難の中でも神様に近づいたので、再び回復し、その時代の誰ももらうことのできなかった物質と神様からの理想の祝福を受けました。
イサクも神様のためなら自分の体を捧げ物にしてもいいと思って薪の上に上るほど従順だったので、自分も栄え、子孫も栄えました。
ヤコブも神様に近づき、神様の御心に従っている親の言う言葉に従ったので、どこに行っても栄え、愛と物質の祝福を受け、その時代のみんなが羨ましがる位置で暮らすようになりました。
最も小さい者を助け行なったことが、すなわち、イエス様ご自身にしたことであり、また、そのようにしなかったことが、イエス様にしなかったことだとおっしゃいました。
小さい者とは、弱い人、惨めな人、困難にぶつかっている人たちなどを指しています。このような人たちを主の御名によって助けた人々は、牧者の前で右側に属した羊のような人たちで、天の国を受け継ぐべき人だ、と誉めました。
彼らにイエス様は、イエス様ご自身が飢えているときに食べ物を食べさせ、病気の時に面倒をみてくれ、裸になっていたとき着せてくれ、旅人で泊まるところが無かったときに泊めてくれ、獄に入れられたときに慰めてくれた、と言いました。
弱い人、惨めな人、困難に遭っている人たちのために生きた人たちが、「いつ私たちが主にこのようなことをしましたか。」と聞いてきたとき、「困難に遭っている人たちにしたことが、すなわち私にしたことと同じだ。」とおっしゃいました。
このように生活できなかった人々が裁かれ、苦痛を受けているのをご覧になって、「あなた方は私が病気の時、獄に入れられたとき、飢えていたとき、裸になっていたとき、旅人になって泊まるところが無かったときに助けなかった人たちだ。」とおっしゃって、「サタン、悪魔のために用意されたところに行け。」とおっしゃいました。
彼らが「いつ主が裸になり、飢え、このような苦痛を受けていたのですか。」と聞いてきたとき、「このように苦痛を受けている人たちにしなかったことが、すなわち私にしなかったことと同じだ。」とおっしゃいました。
(続く)
2004年1月25日
<主題>自分の思い煩いをいっさい主に委ねるがよい 抜粋
説教者:チョンミョンソク牧師

