目の前の当たり前に起きていた出来事が
時が過ぎた時に初めて宝だったと分かるならば
どれだけ虚しく、悔しいことだろうか
誰かが教えてくれても教えてくれなくても
それが宝であるならば必ず得なければいけないものではないだろうか
だから続けて祈る
宝を宝だと私がはっきり認識し、悟ることが出来るようにと。
宝が多くてもそれが宝なのかどうかを知らなければ値打ちがない
摂理の御言葉より
私には宝がたくさんある。
一番身近である尊い宝は自分の命だ。
自分の命は何ものにも代えられないものだ。
でもその値打ちを忘れたら、命さえ売り払ってしまうだろう。
極端に言えばそういうことだ。
両手いっぱいの宝を、神様が与えてくださったことに深く感謝する。
今の時代を生きていることを感謝し
神様がくださった全ての宝の価値を深く悟れるよう
また明け方から深く祈ろう。