いつも同じ、昔成功したから今もやる。
だから今もやっている。
昔は必要だった。
でも今は本当にそれでいい?
これは信仰を持っている人にも同じことが言えると、おっしゃいました。
マタイによる福音書9章 16-17節
だれも、真新しい布ぎれで、古い着物につぎを当てはしない。そのつぎきれは着物を引き破り、そして、破れがもっとひどくなるから。
だれも、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れはしない。もしそんなことをしたら、その皮袋は張り裂け、酒は流れ出るし、皮袋もむだになる。だから、新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである。そうすれば両方とも長もちがするであろう」。
各自「古いもの」を捨てずにそのままにしておいては、
「新しいもの」を作れなくて、引き上げられない。
以下、2014-02-23 主日の御言葉からの抜粋です。
古いものを何故捨てなければならないのか?
自分が好きな<古いもの>を捨てられなければ、<新しいもの>を受け入れることができません。どうしてでしょうか?
すでにびっしり詰まっているからです。
私たちの心は一つだし、体は一つです。二つにはなれません。
ですから、すでに古いものがびっしり詰まっていたら、新しいものを受け入れることができないのです。
また、古いものを半分ぐらい満たしていても、新しいものが完全に入らないで混ざるということです。古いものを捨てることができなければ、新しいものを受け入れることができない。だから、新しく作ることができません。
皆さんみんなが、新しくなることを切実に願っているでしょう?
古いものを捨てて、新しくなることを願っていると思います。今日の御言葉の核心。「捨てること」です。
古いものを捨てる例え
神様の構想のとおりに新しく作るために、月明洞の<古いもの>を「すべて、全部」なくして、道も作り、運動場も作り、泉も作り、池も作り、山道も作り、前山も裏山も作り直し、木も新しく植えて育て、「全体」を新しく変化させて<神様の聖殿>に作りました。そうしたら、<古いもの>は見当たらなくなりました。
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鄭明析牧師 幼少期の月明洞
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月明洞 昔の姿
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月明洞 昔の姿
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今の月明洞
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今の月明洞
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今の月明洞
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今の月明洞
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今の月明洞
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今の月明洞 バレー大会
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今の月明洞
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今の月明洞 御子愛の家 礼拝堂
「きたない服」を100%全部脱いでこそ、「清潔な新しい服」に着替えることができます。これと同じく、自分が「古いもの」をすべて捨てて、「<時代の御言葉>で新しく生きること」です。信じますか。
「作る前」と「作った後」では、千倍、万倍、差があります。まったく比較になりません。
月明洞もこうなのに、自分を作ったらどうでしょうか?
<古いもの>を捨てることはなかなか簡単ではない
<古いもの>を完全に捨ててこそ、新しく作ることができますが、それはわかるんだけれども、<古いもの>を捨てることはなかなか簡単ではありません。本当に捨てたいのに、なかなか捨てられない。
先生も月明洞の古い環境があまりにも苦しく希望がなかったのに、いざ全部なくして新しく作ろうとしたら、もったいなく思いました。本当に不思議なことでしょう。あまりにも苦しくて、抜け出したかった所だったのに、きれいさっぱりなくそうとしたら、捨てたくなくて、もったいなく思いました。
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月明洞の昔の姿
皆さんもそうでしょう。<古いもの>を捨てなければならないことを分かってはいるけれども、いざ捨てようとすると、もったいなく思います。それがいくら<新しいもの>より劣っていても、「古い心、古い行ない、古い習慣」に情が移っているから、捨てるのがもったいないのです。そうですか?
しかし、自分を完全に作るためには、<古いもの>をきれいさっぱり捨てなければなりません。信じますか?
古いものを捨てて自分をつくる
「それがよければ残せばいいけれども、神様の構想どおりに新しく捨てるためには捨てるべきだ」。
それが核心ポイントです。
自分が持っているものよりも、天の構想がもっと素敵だということです。捨てる分だけ作られます。作った分だけ捨てられます。信じますか。
引き上げのチェックが、とても易しいですね。古いものを捨てて自分を作った人が引き上げられた人です。
食べる海苔があるますよね?海苔。<海苔10帖(じょう)>も、作る前は「海の苔」に過ぎません。1かたまりの海苔の値打ちは数百ウォンです。
しかし加工しておくと、「食卓のおかず」になって、数十倍に高くなります。作っておけば、「味」も「形」も「使われる位置」も変わります。
これと同じく、<人>も作っておくと、「心」も、「美しさ」も、「価値」も、「使われる位置」も、「もらうもの」も、「主人」も変わります。「天国の位置」も変わります。
だから、何が希望か?
自分を作ることが希望だ。
「現在だけを見ないで、未来を見てあなたを作ることが希望だ。希望を持って作りなさい」。
自分を作ること、これ一つ、ただ自分。自分の前の対象である御子主が私たちの希望です。
信じますか?