やろうか止めようか、首をかしげたりしてはいけません。
神様が射た矢は、途中で止まる事がありません。
そうしたらありとあらゆる素晴らしい事が起こります。
2019年1月13日 主日の御言葉より
なんて潔い御言葉。
はっきりしていますよね。
これが
やろうか止めようか、首をかしげたり
なやんだりしまくりましょう。
よく考えてみましょう。
神様が射た矢は、途中で止まることもあったりなかったりです。
そうしたらありとあらゆる素晴らしい事が起こるかもしれないし、起こらないかもしれません。
という内容だったら、なんともどかしいことか。
2019年1月13日 主日の御言葉
主題:やろうか、やめようか、するな
本文:ルカ伝24章25節〜27節、ヤコブ書2章26節
どうせやるなら、迷わず、果敢に、テキパキやりなさい。
神様はうやむやなことはなさいません。
状況が変わったり、困難があっても、神様との約束は守らなければなりません。#摂理— キリスト教福音宣教会の御言葉 (@cgmword) 2019年1月14日
私が摂理の御言葉を好きな理由の一つが
はっきりしているからです。
太陽のように鮮明で輝いているから
聞く人の心も輝きます。
だから、幼い子供たち、学生たち、青年たちが聞きたがるんです。
摂理の御言葉が、ぼやーっとしていたら
私は100%聞きませんでした。
私は、神様がなぜ人間を創ったのか、それを摂理に来る前から考えていました。
当然、思い浮かびません。
摂理に来たのが18歳。
そのときに、神様がなぜ人間を創ったのかをはっきり教えてもらったのです。
目的をはっきり教えてもらったから、私の心がはっきりと目覚めたのです。
「神様が人間を創った目的を一緒にこれから見つけよう」
これでは18歳の私は、絶対についていきません。
今でもついていきません。
どこかで聞く言葉だからです。
「へーー、そうだねえ」
で終わったでしょう。
はっきりした御言葉に見合うよう、もっと私の心と考えをはっきりさせ、行動もはっきりさせていきたいです。
最近、ぼやっとしてたから悔い改め( ;∀;)