心を新たに、生を新たにして生きなさい/主日礼拝の御言葉

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2019年10月20日 主日礼拝の御言葉
主題:心を新たに、生を新たにして生きなさい

新約聖書 ローマ人への手紙12章1~2節
兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。
あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。

 

神様を信じる世界、信仰世界において、一番大きいことが礼拝です。安息日は神様に会う日です。準備をしているときから最後の祝祷までが礼拝です。

 

形式的に礼拝を捧げるのではなく、礼拝の意味を正しく分かって捧げなさい。そうしてこそ、神様が遣わした主を正しく悟り、一体となり、神様を主を正しく分かって、信じて従うようになるのです。

 

礼拝は神様の前に進み出る条件です。礼拝がなければ神様と人間の間の制度が崩れます。神様に進み出る条件が礼拝となって、神様に会えるようになります。大きい人の前に進み出るとき、ただでは行けないように、会える条件があってはじめて進み出ることができます。

 

ただ礼拝を捧げることで神様に会える条件になるのではありません。身なりをきれいにして神様の聖殿に来て、神様を賛美し、心を尽くして神様を呼んで祈り、御言葉に耳を傾け、真心を天に捧げるのです。

 

新約聖書ローマ人への手紙12章1節
兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。

とあるように、あなたの体を神様に捧げることが礼拝です。礼拝の核心は神様に会いに来た人々です。人間が大事なのです。

 

 一番大きいことは、生きた捧げものになりなさいということです。生きた礼拝をしなさい。信仰が生きている人たちが神様に接する時、生きた祭壇になるのです。

 

イエス様は、あるとき井戸端で一人の女の人に出会いました。
その女の人はこのようにイエス様に話しました。

ヨハネによる福音書4章20節
わたしたちの先祖は、この山で礼拝をしたのですが、あなたがたは礼拝すべき場所は、エルサレムにあると言っています」。

 

それに対してイエス様は

ヨハネによる福音書4章24節
神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである

と話されたのです。

 「霊とまこととをもって礼拝をしなさい」ということは、どういう意味でしょうか。主を正しく悟り、主を中心にして、神様の前に進み出て礼拝を捧げなさいという意味です。霊的とは預言や啓示をさすのではありません。主を中心にして捧げる礼拝が霊的な礼拝です。イエス様が来られて時代が変わったので、新しい礼拝に変わったのです。

 

礼拝は毎週捧げるけれども、毎週同じ次元で捧げてはいけません。心を新たにし、より理想的な次元で捧げなければなりません。そうすることで、地上でも天国の生をなします。

 安息日を新たにしなければなりません。新しくしないと発展がありません。心を新たにしなければなりません。

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