マタイによる福音書7:7-8
求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。
すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。
自分の時に必要なものを求めなさい。過ぎてしまえばあっても使うことができないのです。
伝道の書3章11節
神のなされることは皆その時にかなって美しい。
伝道の書3章1節
天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。
過ぎたものを求めて得ても価値がなく歴史に使うこともできません。時が過ぎたらあっても価値がなく使えないのです。与えたものを速く行って自分のものにしなさい。すでに求めて得たけど、行っていなくて手に入れられていないものがあります。
例えば土地を買うことも家を買うことも、何かを始めることも同じであり時が過ぎたら状況が変わります。自分の責任分担があります。得るべきものも時があるから、その時に求めてこそ簡単に得ることができるのです。例えば夏に得る果物は夏に得られます。冬がきたらできません。状況が変わります。
箴言6章8節
夏のうちに食物をそなえ、刈入れの時に、かてを集める。
箴言10章5節
夏のうちに集める者は賢い子であり、刈入れの時に眠る者は恥をきたらせる子である。
季節の法則を通して見つけることができるように神様も時の法則が当然あります。生活の中でやらなければ、死ぬまでそのままです。時になって行えば解決します。
時になったときには豊作であり無限です。時が過ぎたら水一滴も降ってきません。これと同じく絶対的な神様の法則があるので自分の時を使わなければ、滅亡の世界に行って後悔します。自分の時があります。自分の時になったときに無条件早くしなければなりません。自分の時にならないと辛くなります。
一番恐ろしいときは、メシヤがくると神様がこの地に臨在なさっていますから、イエス様の時は国を奪うことはできませんでした。イエス様がなくなって40年後にローマに渡されました。メシヤにどの様に接するかによって運命が左右されます。
マタイによる福音書16章27節
人の子は父の栄光のうちに、御使たちを従えて来るが、その時には、実際のおこないに応じて、それぞれに報いるであろう。
今も同じです。ある個人もメシヤにどの様に接するかによって運命が左右されます。民族も世界も同じです。岩一つも持っている任期があります。神様が与えてこそその宝を得ることができる。一般的に大きいものは神様が与えなければ持つことができないといわれます。過程の蕩減を受けてしまいます。時が来た時にいそしんで行わなければなりません。自分の時が来た時にはとにかく行わなければなりません。
時が機会だ。
時と機会だ。
時と機会は同じ言葉だとおっしゃいました。時を逃したら主管圏が変わってしまいます。だから奪われもう一度買おうとしても買えません。神様聖霊様の御心をなすということをわかって、自信をもって探しなさい。
2019年10月29日火曜日明け方の御言葉より抜粋、要約