<2019年12月11日水曜日の御言葉>
<主題><主>が答えだ。すべて<主>のことを言ったのだ。
<本文>使徒行伝8章(核心:27節~35節)
<使徒行伝に出てくるピリポ>は<ヨハネによる福音書14章8節でイエス様と対話したピリポ>と名前は同じですが、違う人です。
■<イエス様に、主を見てこそ嬉しいと言ったピリポ>は「十二使徒の1人の弟子ピリポ」
■<使徒行伝に出てくるピリポ>は執事で、「福音の弟子ピリポ」です。
<使徒行伝>にはイエス様の弟子たちが「新しい時代を探していた人たち」に聖霊の御働きを起こして福音を伝え、信じて従うようにした歴史が記録されています。
その中で<使徒行伝8章27-35節>を読んでみると、エチオピアの女王カンダケの国庫を任された役人である<宦官>が馬車に乗っていく途中、<ピリポ>に会って話した内容が書かれています。
それは<ピリポ>が伝道して回っていた時でした。その時聖霊が<ピリポ>に<エチオピアの宦官>をつなげて、福音を伝えるようになさいました。
<宦官>が馬車で聖書を読んでいましたが、「旧約の預言者イザヤの文章」でした。そこは旧約聖書の中でも「イエス様に関する箇所」です。
預言者イザヤは「彼はほふり場に行く羊のように連れて行かれ、毛を刈る人の前にいる子羊が静かであるように口を開かなかった。彼は屈辱を受けているとき公正な裁判も受けられなかったのだから、誰が彼の子孫のことを語るだろう。彼の命が地上で奪われたのだ」と言って「メシヤに関する預言」をしました。
しかし<宦官>は預言者イザヤが言う「彼」とは誰を指して言ったことなのか、到底解くことができなかったのです。
ピリポが聞いて「その聖書の意味が分かるのか?」と尋ねたら、宦官は「教えてくれる人がいないのに、どうして分かるでしょうか」と言いました。
それで<ピリポ>に「この文章の主人は誰か。ほふり場に行く羊とは誰のことか」と尋ねました。
<イエス様を信じて従っていたピリポ>はその聖書の箇所が「メシヤ・イエス様を指して言った言葉」だと言って、イエス様の福音を伝えました。
ピリポは「ナザレのイエスのことだ。彼は私たちと共に生きた。しかし知らない人たちが彼をほふり場に追いやった」と答えて、イエス様について果敢にはっきり証しました。<宦官>はこの言葉を信じてピリポからバプテスマを受け、喜んで従ったのです。
<旧約の全ての預言の中で最高に大きい預言>は「イエス様に関する預言」です。これは旧約では解くことができません。<預言の主人公であるイエス様>が来られてはじめて解けるようになります。
これと同じく、<新約の全ての預言の核>も「再び来られるメシヤを指して言ったの」です。
イエス様の肉体が十字架を背負ってこの世を去り、イエス様の霊まで天の国に行かれた後、<使徒の時代>が始まりました。その時<聖霊の御働き>がもっともたくさん起こって、伝道の歴史、つまり福音が伝播され始めました。この時最も多くの人が戻ってきました。<異邦人たち>は時代の福音を聞いて「イエス様がメシヤだということ」を認識するようになり、<旧約の多くの平信徒たち>も戻ってきました。
<ユダヤ教の指導者たち>は伝道されませんでしたが、<一般のユダヤ教の人たち>はたくさん伝道されて戻ってきました。しかしはっきりとした活動がないので、聖書に記録されてはいません。特に<使徒パウロ>はイエス様が霊で現れて伝道した人です。使徒パウロは神様と聖霊様とイエス様が強く働きかけ、新しい福音を聞いて専念して走ったので、聖書にたくさん出てきます。使徒パウロ、宦官、バルナバなどが、旧約で神様を信じていた人たちの中から伝道されて戻ってきた人たちです。
異邦人、指導者たち、彼らははっきり信じて従う御言葉さえあればついて来ます。しかし<伝えてくれる人>がいないから、分からなくて来られずにいます。
今は指導者たちも、歴史的にメシヤが来る時が過ぎたと言ってメシヤを探し回っています。<福音>を伝えれば、みんな分かってついて来ます。悟って、行なうようになります。
<主>は「旧時代の預言の答え」です。「すべての預言者たちが言った預言を成就した人」です。だから<この時代の主がすでに行なったこと>を伝えなければなりません。
<この時代の福音>を「確信して」証しなければなりません!
今週の御言葉に出てくる<ピリポ>が聖霊に動かされて大胆に時代の御言葉を伝えたように、みなさんも「自分の前に来る人たち」に時代の福音を伝えなければなりません!
聖霊が繋いでくださるでしょう。