2020年1月5日主日礼拝 私が話してあげよう

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<2020年1月5日主日の箴言>

<主題>私が話してあげよう
<本文>ヨハネの黙示録14章1節~5節
    ルカによる福音書20章25節
    (参考 ヨハネの黙示録13章、14章、19章)

*内容を抜粋した箴言です。

<異端>は「真理」と言って立ち上がって叫んでも、違います。

<異端の宗教>は聖書どおりに行なってもいないのに、よい聖句を自分のものにして主張し、叫ぶけれども、彼らは「神様の御心」ではないので、最後まで行ってみるまでもなく、結局崩れ、なくなります。

<ルカによる福音書20章25節>に『するとイエスは彼らに言われた、「それならカイザルのものはカイザルに、神様のものは神様に返しなさい」。』と書いてあります。
イエス様が<カイザルのもの>と<神様のもの>を区分なさったように、<自分のもの>と<他の人のもの>とを区分して生きなければなりません。特に必ず<自分に該当する聖書>と<他の人に該当する聖書>とを区分して知らなければなりません。

<ヨハネの黙示録1章から22章>までは使徒ヨハネが霊界で見た現象です。これはほとんどが新約のイエス様の時とイエス様が死んでから起こった霊界の状況ですが、その中に再び来るメシヤに関する再臨の預言も数か所あります。

<ヨハネの黙示録19章11節~13節>を読むと、『またわたしが見ていると、天が開かれ、見よ、そこに白い馬がいた。それに乗っているかたは、「忠実で真実な者」と呼ばれ、義によってさばき、また、戦う方である。その目は燃える炎であり、その頭には多くの冠があった。また、彼以外にはだれも知らない名がその身にしるされていた。彼は血染めの衣をまとい、その名は「神の言」と呼ばれた。』と書いてあります。
また<ヨハネの黙示録19章14節~16節>を読むと、『そして、天の軍勢が、純白で、汚れのない麻布の衣を着て、白い馬に乗り、彼に従った。その口からは、諸国民を打つために、鋭いつるぎが出ていた。彼は、鉄のつえをもって諸国民を治め、また、全能者なる神の激しい怒りの酒ぶねを踏む。その着物にも、そのももにも、「王の王、主の主」という名がしるされていた。』と書いてあります。
<白い馬に乗った人>とは「メシヤ」を言います。その人は「忠実で真実な者」で、<口の剣>すなわち「自分しか知らない御言葉」を持ってきて行ない、鉄のつえの権勢で治める。その人に従う人たちも白い馬に乗ってその人に従います。
<初臨の時のイエス様>もそうだったし、<再臨の時のメシヤ>も「新約歴史を再現」してこの時代級にそのように行ないます。

<ヨハネの黙示録14章1節>を読むと、『なお、わたしが見ていると、見よ、小羊がシオンの山に立っていた。また、十四万四千の人々が小羊と共におり、その額に小羊の名とその父の名とが書かれていた。』とあり、<選ばれた人>には額に「印」を押すが、その群れの数が14万4千だと言いました。
14万4千は<旧約からイエス様の時まで救いを受けた人たちの数>です。
またこの時代的に見た時は<主が教えた新しい時代の御言葉を信じて従う人たちを象徴した数>で、彼らが「新しい歴史の印」を受けるということです。彼らは「完全で絶対的な御言葉を聞いて救われた人たち」で、「千年の婚宴の歴史を広げる人たち」です。

<神様とメシヤの御言葉>を伝えてあげて、聞いて信じて従うようにしたら、それが「命の御言葉で印を押したこと」になります。

<メシヤの御言葉>は「神様の御言葉」だから、<メシヤが印を押した人>は「すなわち神様が印を押した人」になります。

<ヨハネの黙示録19章12節>を読むと、『その目は燃える炎であり、その頭には多くの冠があった。また、彼以外にはだれも知らない名がその身にしるされていた。』と書いてあります。
また<ヨハネの黙示録2章17節>でも『勝利を得る者には、隠されているマナを与えよう。また、白い石を与えよう。この石の上には、これを受ける者のほかだれも知らない新しい名が書いてある。』と言いました。
白い石は「メシヤ」を言います。その人は<自分しか知らない御言葉>を持ってきて行ないます。

<ヨハネの黙示録14章2節>に『またわたしは、大水のとどろきのような、激しい雷鳴のような声が、天から出るのを聞いた、わたしの聞いたその声は、琴をひく人が立琴をひく音のようでもあった。彼らは、御座の前、四つの生き物と長老たちとの前で、新しい歌を歌った。この歌は、地からあがなわれた十四万四千人のほかは、だれも学ぶことができなかった。』と書いてあります。
これは、メシヤが地上で神様の歴史を広げるが、その人の<新しい歌の声>がちょうど「雷が鳴る大きい雷鳴」のようで、「天から出る神々の声」のようだということです。

<新時代>には「絶対的なメシヤの御言葉の御働き」と「時代の新しい歌を歌う御働き」が起こります。

摂理史は<絶対的な時代の御言葉>を聞いて学びました。宗教の最高の核心の御言葉である終末、メシヤ降臨、復活、引き上げ、理想世界、千年の婚宴の歴史、神様の天地創造の目的について学び、その御心を成してきました。
そして、<神様が下さった新しい歌>をもらって神霊な歌を歌っている。私たち以外にこの歌を学べる人もいないし、歌える人もいません。

<異端の宗教>は「時代の御言葉」もなく、「新しい歌」もありません。自分たちが聖書を成すと言うが、一つも成すことができません。彼らは「新婦の御言葉」と「引き上げの御言葉」もなく、「婚宴の御言葉」もありません。みんなが新歴史を広げると言うが、「既存の主管圏の中」にいます。

<神様の新歴史>は「神様と聖霊様と御子」と「イエス様」と「地上に送った救い人」が共に行ないます。

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