「<福音を伝え始めた日>は<歓喜の日>だ。」
昨日の摂理の主日礼拝で
歴史を神様が始めた時は歓喜の日だといった。
すさまじいエネルギーと共に歴史が始まった日だ。
宇宙はどのようにして始まったか?
「ウイルスが一瞬にして銀河団以上の大きさになるほどのエネルギー」
だったそうだ。
それは
「現在の宇宙膨張を加速させているダークエネルギーの100ケタ以上もの驚異的な大きさのエネルギー」
とのことだ。
歴史が始まるということは
つまり前の歴史が終わるということ。
小学校から中学校に入学したのに
小学校に通い続けることはない。
歴史を始めるというのは前の歴史よりエネルギーが確実に必要だ。
前の歴史の時から次の歴史の為にエネルギーを備えることが必要だ。
歴史を始めた人、改革を成した人はいつもエネルギーに満ち溢れていた。
その人の精神を受け継ぐのであれば、何が怖いことがあるだろうか。
行えばその精神が実感できるし、行わなければ実感が出来ない。
行えば運命が変わる。
歴史の始まりの日は、歓喜、喜びの日だ。
神様は御言葉で歴史を起こしてきた。
何か土台があっただろうか。
無かった。
でも歴史を起こしてきた。
御言葉は歴史を起こす。
いま、私がいるのは神様がそのように歴史を成してくださったから。
その条件があったから。
その精神を受け継ぎたい。
すさまじいエネルギーをもつ精神を受け継ぎたい。