自分の分を全部祈って遊んではいけないでしょう。そのようにできない人たち、罪を犯して神様のところに行けない人たちの代わりに祈ってあげると、それが本当に大きいんです。その本人はできないからです。だから、その人のために祈ってあげなさい、助けてあげなさいという意味です。
病気の人が病気で祈れないでしょう。病気で食べられないでしょう。だから代わりに食べてあげるんじゃなくて、病人のために助けるんです。ご飯を食べられるように手伝うんです。隣で。それが力になります。代わりに祈ってあげると、その人にとって大きな力になります。
そして、その人も祈ってもらったことを知らなければならないんです。必ず人のために祈ってあげなさい。弱い人のために祈ってあげなさい。「誰かのために祈ります」と言ったら、その祈りを100パーセント受け取ってくださいます。
流されていくところから救い出すんです。本人たちができないから、代わりに民族のために祈っても、世界のために祈っても、皆さんが祈ったら、その祈りが必ずムダになりません。その祈りが衝撃を起こします。皆さんが祈って、皆さんが働くのではなくて、その祈りを聞いて神様が働くから。世界を動かします。祈ったことによってです。
そういうことがたくさんあります。祈ったことによってです。数百年、数万年、地球、一国。祈ったことによって変わるんです。預言者イザヤも、祈ってイスラエル民族が困難な時に変わりましたね。預言者ヨナが、一人が祈ったのに、12万の人たちが祈らなかった。ヨナ一人が祈った時に、その条件によって助かりました。そして彼らも祈るようにしてあげて、みんなが変わって帰ってくるようにしました。祈りの衝撃はこれほど大きいんです。
2005年3月27日の主日の御言葉より抜粋
主題「祈りのしるしを起こそう」
聖句 イザヤ書1章18節から20節
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