感謝がどれほどいいことなのか。もらうことより素晴らしい、いいことです。聞いてみてください。もらうより感謝する方がいい?本当にそうですか?本当にそうです。
みなさん、何かをあげようと思って買って来る時、うれしいですか、うれしくないですか?もらうよりうれしいでしょう。もらうよりずっといいでしょう。
外国のみなさんはよく分からないかもしれませんが、天安(チョナン)というところに、くるみが入っている大判焼のようなものがあります。1袋買ってくるのに、ものすごく喜ぶのです。それを私に渡す時には、もう冷め切って美味しくないのです。「おぉ、これ、冷めたけれども、おぉ、私は昔、本当に食べたかったんだよ、これ。」「先生、これ、レンジでチンして食べてください。電子レンジに入れたらすぐに温かくなります。」その一つの譬えのように、何かを買って来る時には、喜びの100倍の喜びがあるということです。
私はやってみて分かりました。人にあげる時、ケチってはいけません。喜んであげる時に、もらう人も喜ぶのです。なぜ?そういう計算高い心を見透かされてからあげてはいけないのです。あげる時はあげる。うれしい、喜んでいる。そうしたら、もらった人もうれしいのです。
神様に対してもそうだということです。
だから、「感謝しよう」と宣布した時、私は本当にうれしかったのです。
「機会、チャンスを下さるから、感謝しに行きたいんですけれども、どうしたらいいのですか。」神様のところに来られるということだから、うれしいということです。感謝することが、それくらいうれしいということです。
神様から何かもらう時もうれしかったとは思いますが、あげる時ほどではなかったと思います。あげる方がうれしいのです。神様からもらうこともうれしいのです。しかし、よく忘れる。しかし、あげたことに対しては忘れない。あげたものは忘れないでしょう? もらったものは、すぐに忘れます。だから、あげた喜びが長く続きます。千年は続くと思います。
みなさん、子供のころにあげたものも覚えているでしょう?忘れないのです。しかし、子供の時にもらったもの、覚えていないでしょう。
私が「母乳を飲んだのも覚えていない。私はミルクじゃなかったの?」と言ったら、母は「乳首を噛まれて痛かった!」と言いました。あげたのは覚えています。もらったものは忘れる。
だから、あげる方が祝福だということです。喜びが続くからです。
あげておいて、「その人が何かくれるんじゃないか」と思ったら、あげた喜びが消えてしまいます。「あなたも私に何かくれるべきじゃないか」、そういうことを思ったら、喜びが消えてしまいます。
2020年12月13日主日の御言葉<主題>三位一体に感謝と栄光