2026年8月9日主日の御言葉
<主題>
1.心を堅固に最後まで行ないなさい
2.悪魔が付け込めないようにしなさい
<聖句>
新約聖書 ペテロの第一の手紙5章8~9節『身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食いつくすべきものを求めて歩き回っている。この悪魔にむかい、信仰にかたく立って、抵抗しなさい。・・・』
新約聖書 コリント人への第一の手紙15章58節『だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。』
新約聖書 マタイによる福音書24章13節『しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。』
新約聖書 エペソ人への手紙4章27節『また、悪魔に機会を与えてはいけない。』
ハレルヤ!
今日は「一つ、心を堅固に最後まで行ないなさい。二つ、悪魔が付け込めないようにしなさい」という主題で御言葉を伝えます。
心は考えるとおりに揺れたり、堅固で希望に満ち溢れたりもします。瞬間的に心で決めたとおりになります。だからいつも心、考えが間違わないようによく治める必要があります。
落胆し心配したら心がどんどんそのように考えるようになります。将来のことも実体も、そうではないのに悪いと考えたら、どんどん悪い考えばかりが浮かびます。自分の心理によって自分自ら倒れるようにもなります。
いつも心で神様により頼み、信仰を堅固にして、希望を堅く持つべきです。信仰を堅固にしないから、心が揺れます。心と考えが全能者神様を堅くより頼んではじめて、虚無や困苦や雑な考えに陥りません。
人は心、考えどおりに体も行ないもその影響を受けます。心で信じて義に至るようになります。
新約聖書 ローマ人への手紙10:10
『なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。』
だからいつも心が神様、聖霊、御子、主を堅く信じることで義に属した人になって、サタン、悪霊、悪の霊、雑霊たちに捕まらないようにすべきです。
みんな祈らなければなりません。その祈りを中断してはいけません。祈ることで生活の勝利をおさめるのです。
祈ることは、敵が追いかけてくるとき遠く離れていくことと同じです。だから祈っている途中中断したら、追いかけてくる敵に捕まるようなことになります。だから祈りは決めた時間まですべて祈ってから終わらせるべきです。そうしたら勝ったことになります。
祈りは武器です。祈りは実際に自分が行なう仕事です。祈りは無限に自分の能力を使うことです。祈りは自分の霊力で自分の領域を守ることです。だから毎日定めた時間に祈らなければなりません。
霊界を見ると、サタン、悪霊の群れが戦争のとき敵たちが追いかけてくるように追いかけてきています。だから強力な祈り、御力の祈りをすべきです。
聖霊は必ず祈る時間に起こしてくださり、また自分を助ける霊も祈るようにと起こします。その時すぐに起きて、その時間を奪われずに祈るべきです。みんな自分と、自分に該当することのために祈り、民族、世界のことまで祈るべきです。祈るとおりに実際に成されます。だから自分が願うことをすべて祈ることです。
毎日食べ、毎日寝て、毎日働くように、祈りは毎日すべき霊の生活の中の一つです。だから祈らなければ、ご飯を食べず、眠らず、すべきことをしなかったのと同じです。
だから決まった時間に祈れなかったなら、別途時間を出してでも祈るべきです。必ずすべきことをその時にできなかったなら、そのあとからでも必ずしなければならないように、祈りもそうです。
祈りは仕事と同じです。祈らなければ、祈らなかった分、祈りの仕事がそのまま残っています。だから遅くなっても、祈って満たしておかなければなりません。毎日聖書を10章ずつ読んでいたけれども一日読めなかったなら、ほかの時にでも読んで埋め合わせをするように、そのようにすべきです。
何事でも自分の責任は必ず自分が行なって満たすべきです。やらなければ、自分の部屋の片付けるべきものを片付けなくて、歩くときずっと邪魔になるようなことになります。行なうとおりに、なくすべきことはなくなり、成すべきことは成されます。
紙一枚を前にして絵を描こうとしても、描いた分だけ描かれています。そのように、行なった分だけが成されるということです。
信仰生活をする中でも善か悪か自分が行なった分だけが成されます。イエス様も「私も集め散らしてすべてを行なった」とおっしゃいました。
新約聖書 マタイによる福音書25:26
『すると、主人は彼に答えて言った、『悪い怠惰な僕よ、あなたはわたしが、まかない所から刈り、散らさない所から集めることを知っているのか。』
行なうことが自分の能力です。行なうことが習慣にならなければなりません。行なう人が勝利するようになります。
人は自分の行ないの実を食べて生きます。だから今よりもっと行なうべきであって、今までのものだけでは足りません。最善を尽くしてやってはじめて、次の段階に行きます。
神様は神様が創造なさった動物などさまざまな万物と人間をみんな助けてくださいます。その中でも特に人間を絶対に助けてくださいます。助けるけれども、本人がすべきことは自分がする分だけ成されるように創造しておきました。神様は人間が自分の責任を果たして研究し、もっと行なって、もっと楽に生きることを願われます。
研究の努力をしないでただ生きたら、現在置かれている次元でそのままずっと生きるようになります。研究して新しくしなければなりません。
信仰も研究して、もっと楽に行ないつつ、もっと得て抜け出すことです。行なうにしても、神様の御心どおりに行なってこそ、地上でも天国、天でも天国です。自分の考えどおりにばかり行なったら、地上でだけもらって人生は終わります。
自分の心、自分の無知に溺れて自分の意志による信仰をしたら、古い家でうずくまって生きていくようなことです。
過去の段階の信仰生活から抜け出して、新しい時代の信仰生活をして生きることです。新しい時代に来たら、新しい時代の新しい御言葉を大切に思って祈り、走って、もっと高い所で楽に生きなさいということです。
完全に旧時代から出てきて新しい時代に従ってこそ、復活したと言うのです。そうしたら古い時代で死に、新しい時代に来て生きた人になります。
人生はよりよい生に抜け出す楽しみで生きるものです。
宗教歴史6000年間信仰生活をしてきたことを見ると、新しい歴史に神様が遣わした救い人が来て渾身の力で正しく導いてあげても、旧時代の人たちはいつも疑いました。むしろ悪評を言い、教えが違うと言って異端視しました。
私も幼い時は幼子のような水準で生きていました。しかし大きくなったら、幼子の水準と生から抜け出して大人の生を生きることが当然です。
このように信仰が幼子の時は、神様と神様が地上に遣わした信仰の親のような人が信仰の仕事を助けます。しかし大きくなったなら、時代を正しく分かって生きるべきではないでしょうか。
間違った道に行っても、正しい道に戻って出てきたらすぐに明るい希望を成す道へ行くようになります。
神様は彼らの無知をすべてご覧になっても何もおっしゃいません。どうしてでしょうか?知っている人を通して働きかけることが神様の行なわれる方法だからです。
神様は直接話さないで、いつも通して行なわれます。万物を使役者にして行ない、人を使役者にして行ないます。時には夢で啓示を与えて、夢を通して話されます。
神様がこのように行なわれるということが分からなければ、神様が直前に万物を通して、人を通して、夢を通して助けてくださっても分かりません。
もし神様が直接なさるなら、人間が指示したことを神様がなさることになるので、神様が人間の使用人になります。だから直接はなさいません。
神様は遣わした人にだけ直接話し、行なわれます。その人に厳格に命じて「このように教えなさい」とおっしゃいます。大半は時代ごとに遣わした神様の救いの使命者を通して話されます。
自分の生の理致は分かっていながら、神様が行なわれる理致は分かりませんか?人も自分が直接できないときはいつも自分が信じる人を通して行なうでしょう?あるいは文章に書いて伝えたりもします。先生もすべきことを、人を送って、その人を通して行ないます。
神様は人を通して行なわれるけれども、神様が使う人、立てた人を通して行なわれます。神様はいつもご自身の体として使う人を通して行なわれます。
木もそうです。葉は枝を通して水を供給されます。枝は根を通して水を供給されます。根は新しく生えた細い根によって水を吸収します。細い根は土を通して土の中の水を吸収します。このような万物の理致から外れずに行なうべきです。
うまくいかないときは理致から外れたからです。生活をする中で一つ一つ神経を使い、生の理致を学ぶ必要があります。その中で最高に完全な理致は真理です。
繰り返しやればできるから、諦めずに繰り返しやって正常に戻るべきです。
各自自分の信仰と周りの人たちの信仰を見てください。
毎日勤しんで行なうことです。信仰はやればやるほど心に火がついて、もっとよくできるようになります。
正しく学んで正しくやってはじめて、信仰の英雄になります。
イエス様は「私の言葉を聞いて行なう人は洪水になり急流が流れても、岩の上の家のように丈夫だ。堅固だ」とおっしゃいました。
新約聖書 マタイによる福音書7:24~27
『それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、倒れることはない。岩を土台としているからである。また、わたしのこれらの言葉を聞いても行わない者を、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができよう。雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまう。そしてその倒れ方はひどいのである」。』
また「知っている人が神だ」とおっしゃいました。これは「神様の御言葉をもらった人が神だ」ということです。
新約聖書 ヨハネ10:34~35
『イエスは彼らに答えられた、「あなたがたの律法に、『わたしは言う、あなたがたは神々である』と書いてあるではないか。神の言を託された人々が、神々といわれておるとすれば、(そして聖書の言は、すたることがあり得ない)』
イエス様の御言葉は真理なので、その御言葉で2000年間新しい歴史を行なってきました。旧約の御言葉は旧約の世界でだけ行なう真理でした。いつも新しい時代が来たら、新しい時代の御言葉を聞いて出て来なければなりません。
迎えた人たちはどれほど幸いな人でしょうか。迎えたから、はっきり分かってはっきり行なわなければなりません。
今日は「人は心ですべてが左右される。心を堅固にし、絶対に祈って、サタン、悪魔、悪霊にすべて勝ちなさい。祈りは仕事だ。絶対に祈りなさい。祈りだけではなく世の中の仕事も信仰の仕事もすべて行なうとおりに成される。行なうにしても、真理の岩の上に立って正しく分かって行ないなさい。」を核として御言葉を伝えました。
聖霊の愛の平安を祈ります。
説教者:チョンミョンソク牧師

