<主題>
足すこと・引くこと・掛けることの生
聖句
新約聖書 ペテロの第二の手紙 1章5~7節
『それだから、あなたがたは、力の限りをつくして、あなたがたの信仰に徳を加え、徳に知識を、知識に節制を、節制に忍耐を、忍耐に信心を、信心に兄弟愛を、兄弟愛に愛を加えなさい。』
新約聖書 エペソ人への手紙 4章22~24節
『すなわち、あなたがたは、以前の生活に属する、情欲に迷って滅び行く古き人を脱ぎ捨て、心の深みまで新たにされて、真の義と聖とをそなえた神にかたどって造られた新しき人を着るべきである。』
新約聖書 ヨハネによる福音書 15章1~2節
『わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。わたしにつながっている枝で実を結ばないものは、父がすべてこれをとりのぞき、実を結ぶものは、もっと豊かに実らせるために、手入れしてこれをきれいになさるのである。』
ハレルヤ!
今日は「足すこと・引くこと・掛けることの生」という主題で御言葉を伝えます。
元の存在物から取り除くべきところを取り除いたらもっと不思議になります。もっと足すべきところを足したら、一層不思議な形になります。
たとえば水石の形からよくない所を切り取ったら不思議な形に見え、また足りないところを足したらもっと不思議な形に見えます。
(*補足 水石とは:一つの自然石を観賞する芸術)
人も短所を除いてなくし、足りないところを労苦してもっと埋めたら、貴重な人になり、不思議で美しいです。
月明洞(自然聖殿)も足す所はもっと積み、石と木をもっと運んできておいて開発し、取り除く所は土木工事をして取り除き、新しくしていろいろな場所をつくったら、もっと稀有で神秘的で美しくなりました。
このように各自短所は取り除き、長所、よいところを足したら、神秘的です。美しいです。時間も必要のない時間は省いて、必要な時間はもっと足して使ったら、神秘的で美しい生になります。
考え、心も足すこと・引くことです。自分の行ないも足すこと・引くことをしてはじめて、不思議で霊妙で美しい生になります。不思議で霊妙な御言葉を聞いてばかりいないで、各自が自分を見ながら主の中でそうすべきです。
玉(ぎょく)の彫刻家たちは彫刻するとき、初めから構想しておいて、足すことと引くことをして作品をつくります。顔を彫刻するときも整形手術をするように、出ているところは削って取り除き、へこんでいるところは足して、神秘的で不思議で美しくつくります。
みんな自分の生において自分の人生の短所は引き、よい所、長所は足すことです。完全になるように足すこと・引くことの生です。
「足すこと・引くことの生」よりもっとしるしの御働きを起こすのは「掛けることの生」です。70回ずつ7回赦す生を生きたら、想像もできない理想的な義の生になります。引くことも短所を「掛けて何倍にもして引くこと」です。このように掛けることで完全に全き生になります。そうすると短い時間でものすごい生を生きるようになります。
補足:参考聖句
新約聖書 マタイによる福音書 18章21~22節
『そのとき、ペテロがイエスのもとにきて言った、「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯した場合、幾たびゆるさねばなりませんか。七たびまでですか」。
イエスは彼に言われた、「わたしは七たびまでとは言わない。七たびを七十倍するまでにしなさい。』
成功するためには各自必要でない時間は取り除いて引いてなくすことです。必要な時間として行なって使うことです。神様の御心の中で必要なことを10倍、20倍にすることです。
速くやるためには何倍にもして足し、何倍にもして引くことです。勝利する生は足すこと・引くことの生であり、掛けることの生です。
また行なうべきことを絶対に行なうことです。いつも環境、立場が困難でできないと言います。やるときに最後までやることです。
生活の信仰です。公的なことだけが信仰ではありません。生活の信仰をしないで定期的な公的集まりの信仰をするだけだと、希望が一般的なものです。普通の水石と同じです。特殊石のようにはなれません。
特別に行なったときに特別になります。「この全てのことを神様、聖霊、主と共に特別に行ないなさい。そうした時に特別になる」とおっしゃいました。
農作も一般的な農作があり、特殊作物の農作があります。特殊作物の農作をしたときに特別に得ます。仕事も特別に構想してやったときに、できないはずのことも特別にできます。信仰も特別にしてはじめて特別なものを得ます。祈って特別にしなければ普通にしかなりません。
流れる水をそのままにしておいたら、溝、小川ができるとその通りに流れます。前もって水路をつくっておき、そこへ流れるようにし、ダムをつくったら、貯水池、あるいは湖になって別世界になります。このように生も大胆に創造することです。実践することです。個性通りにつくることです。
月明洞(自然聖殿)も大胆につくりました。石を積むときも全て分かって弱い石灰石やさまざまな一般の石は取り除き、硬くて形と形象が作品の石だけを数十年間かけて手に入れて積みました。すべて足すことと引くこと、掛けることを神様の構想通りにしたので、美しく神秘的で雄大です。
みなさんの生もそうなるようにおつくりになりました。だから各自が足すこと、引くこと、掛けることをしなければなりません。
神様はよくないざまを黙って見ていることはなさいません。ただ神様の御心どおりに生きなければなりません。
この世で苦痛を受けるとしても義の生を生きなければなりません。この生は地上では捜しても見当たらない、天国の霊になって生きていくようにする永遠な希望の生です。このように勝利する生を生きる人、いつも主と共に生きて勝ち続けます。
ほかのことは考えないで、ただ主の中で行なうことだけを考えて生きなければなりません。
学んで、すべて治めていかなければなりません。患難が来たら身をもって味わい、勝った分、あとでよいものが来ます。
もう一つ話して締めくくります。
各自存在物からよい核を捜してみてください。捜してはじめて見つけます。求めてはじめてくださいます。
存在物から核を捜し見つけなければなりません。石から核を見つけたら石の作品が倍に輝き、それだけ価値ももっとあります。作品から3~4の核を見つけたら、三、四倍の価値のある作品になります。このように自分の長所も見つけ、兄弟の長所も見つけて話してあげてください。本人は行なっていながらも分かりません。
作品の中にはたった一つのよい核だけで作品になったものもあります。
自分の特別な形象を見つけられない人は、みんな核を見つければいいです。水石も庭園石も核を見つけたら、短所のあるところもそれによって瑕(きず)が隠れて、一緒によい形に見えます。人もよくがんばったらそれによって瑕が隠れます。
よくがんばったら短所もそれによって目立たなくなります。水石もよい形象があったら、それだけを見て喜んでいて、瑕が見えません。みなさんもそうです。神様も御言葉で「私神様を愛する人はおびただしい罪を覆ってあげる」とおっしゃいました。
渓谷はそびえたった山によってできたものです。そびえたったことによって険しくても喜び、有名な高い山には何があっても登ります。人も秀でた長所によって短所が生じる場合もあります。しかし人々は短所だけを見て話します。
短所も自分の器どおりに、自分の心、考え、次元どおりに考えます。ほかの人たちはよくないところがあっていまいちだという水石のことも、むしろ専門家は「そうではない。これがあったほうがもっと作品性がある」と言います。
人も専門家が見たら、みなさんが短所だと思うところもそうではありません。人々は高い山によって大きく影ができるから、影が大きいといって「よくない。瑕だ」と言います。しかし夏は影が大きい方が作品です。山が天高くそびえたったので、それによって影も大きく、渓谷ももっと深く、涼しくなったのです。大きい人たちはこうです。人も長所短所をこのように見て、物も生もこのように見る必要があります。
水石、庭園石、地形、万物、宇宙、すべて神様が素晴らしく創造なさいました。見るとき正しく一つ一つ見てください。深く、霊妙で、不思議さが天にまで届きます。創造なさった神様を考えてみてください。どれだけ不思議で神秘的な方でしょうか。
そのような神様が遣わした人のことを学び、証ししなければなりません。どうして学んで証しすべきでしょうか。その人を通して神様が行なわれたから、その人が行なったことが分からなければ、神様が時代に行なわれたことが分かりません。新約のイエス様のときはイエス様を通して行なわれました。神様は霊なのでその行なわれることを人々は分かりません。だから遣わした人を着て行なわれます。
いつの時代でもそうだから、遣わされた人が行なうことを学び、神様がこのように行なわれたと証ししなければなりません。証ししてこそ、神様がその条件どおりに働きかけます。
今日の御言葉通りに各自が短所は引き、長所は足せば、神秘的で美しくなります。さらには、掛けて引き、掛けて足したら、しるしの御働きが起こり、完全に全き生を生きるようになります。今この時神様、聖霊、主と共に勤しんで足すこと、引くこと、掛けることの生を生きて、みんなが今週の御言葉の主人公になることを願います。
聖霊の愛の平安を祈ります。
2026年10月14日 御言葉より抜粋 説教者:チョンミョンソク牧師

