摂理で教えてもらったことー自分自身が主人公。まずは自分から。

摂理で教えてもらったこと
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使徒行伝1章8節
「地のはてまで、わたし(キリスト)の証人となるであろう」。

 

聖書には、
「証しなさい」
という箇所がたくさんあります。
聖書で言う証とは、神様がどのような方なのか、キリストがどのような方なのかを話すことです。
その話す人を証人と言ったりもします。

 

証人は特別な人でしょうか。
違います。
見た人が証人なのです。

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例えば、事故が起きるのを見た5歳の子供がいたとします。
その人が証人です。

 

だから、自分がどんなに足りない人に思えても、力が無いように思えたとしても、誰でも証人です。
生きてる人達の中で、神様を証出来ない人は誰一人としていません。
神様が全員に働きかけて助けるからです。

 

その働きを気づいているのか、気づいていないのかはまた別の問題です。
分かっていたら必ず証ができます。証人は誰でもなれます。

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自分が奇跡の存在であるということ、自分が奇跡の主人公であるということを自覚している人は少ないと言います。
確かに。
自分が希有の存在であり、世界に一つしかないダイヤよりも貴重だということ。

 

話せば自分だけが感動するのではなく、他の人も感動します。
今まで人前で泣いたことが無い人でも、泣かないような人も泣くことを見たことがありませんか?

 

名も無き証人が、過去にも多くの歴史を動かしてきたのです。
今もそうです。
誰か英雄一人が歴史を成すのであれば、その歴史はただの独裁です。長続きしません。

 

誰か一人では足らないのです。
一つになって動く姿ほど、感動を覚えるものはありません。

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誰かが命令ばかりしている世界は地獄です。
指に土もつけずに命令ばかりしている世界は地獄です。

 

摂理に来てから、一緒に行うということをたくさん知りました。
そのような人達をたくさん見ました。

 

私が今後も指導者の立場になっても、どのような立場になっても
地位も名誉も何も無くても、誰が行っても行わなくても、まずは自分が証をし、自分が行ない、それから人に教え、証する人でありたい。

 

摂理で学んだことが幾つもありますが、大きなことの一つがこれなのです。

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