<比較>はいつでもすることではない

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<比較>はいつでもすることではない。
<神様がくださったもの>を「普通」に思って、<向こう側の他人のもの>を「大きく」思うから、その時、実相を悟るように「比較」して見るようにさせる。
比較したら、<神様がくださったもの>が大きく素晴らしく神秘だということを悟った。このような時だけ「比較」するものだ。

<自分のものがもっとよいのに劣っていると考える時>、この時「比較」して「自分のものがもっとよいということ」を悟るようにさせる。

<自分のものがもっとよくない時>「比較」したら、委縮し、むしろ力を失うようになる。

-摂理 キリスト教福音宣教会 御言葉より

投稿者プロフィール

RIO
東京都出身。高校生の終わりごろ、摂理教会に来てから早21年。教会内のあらゆる役割を経験。
現在は、つくば市在住。教育関連事業で邁進中。
好きなものは猫。
いわゆるお一人様(^^)/ 独身貴族。
ですが、主と共に生きるのでお二人様。

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