【植松被告から手紙 改めて差別】相模原市の障害者施設で起きた45人殺傷事件から約1年、被告の男が日本テレビの取材に対して、手紙を寄せた。その中で障害者への偏見を示し、差別する主張を改めて繰り返した。 https://t.co/0YhOYVRoYs
— Yahoo!ニュース (@YahooNewsTopics) 2017年7月25日
障害者についての記事を以前書きましたが、名古屋教会の女性たちに「あの記事、好きなんです!!」と言っていただきました。
ありがとうございます!
障害者の方は以前から身の回りにいたのもあり、何か障害者の人が前に立つことを隠そうとしたりする思想は 私は共感できません。
障害者への配慮の必要性。いつ自分がそうなるか分からない。そこに対して考えながなければ配慮もできない。考えの深さが重要。
ポンソク牧師の言葉より
実際、ポンソク牧師は鄭明析牧師と相談しながら、月明洞 御子愛の家に車椅子の人でも入れるように配慮なさっています。
御子愛の家の裏側にはスロープ、そしてエレベーターが完備されています。今度行ったら写真撮ってきますね。
障害者に一体いつ自分がなるか分かりません。
私もです。
自分は障害者じゃないと言い切れる人は、この地球上に一人もいません。
いまある障害の基準は、今の時代の基準なだけであって
これから先、新たに障害者の基準が変わったら 自分も障害者になります。
例えば、強度行動障害という障害がありますが、この名称は1988年にスタートした行動障害児(者)研究会において命名されたものです。(参照:国立障害リハビリテーションセンター)
昔から名前があったわけではないんですね。
私の叔母は、小学校の保健室の先生でしたが
自分が新任のときより、格段に障害をもつ小学生の子が増えたと。
「前は少し変わった子くらいに言われていた子だったとしても、今は障害の名前がついてしまうからね。」
と話していました。
(2017.07.26追記)
HIRO☆PONがこのブログ記事を読んでコメントくれたので追記します。
記事感動しました。
障害者論っていう授業を取ってたんですけど
「その時の教授が誰もが生きていれば出来ないことはある。障害を持って生きてる。目に見える形かそうでないかだけだ」
って言ってました。
聴力障害のテニスプレイヤーを取材しに行って、私は障害者じゃないので障害者としての取材であればお断りしますって言われて観が変わったって言ってました。
その後、娘さんが聴力障害として生まれて来て、実感したそうです。
本当にそうですね。「誰もが生きていれば出来ないことはある。」とっても深い言葉です。
時に、障害があることを隠すべきだと、心ない言葉を言う人もいます。
私は、それにも全く共感できません。
それは軽々しく口にしていい言葉ではありません。
本当に超特別な事情がある場合もあるでしょうが、
むやみやたらに、少なくとも他人が口にすべきではありません。
本人自身が無理に言う必要はありませんが
しかし、本人が明かそうとしているのに
周りが止めることは共感できません。
ましてや「死ぬべきだ」とは言語道断、お話になりません。
聖書のどこにそんな言葉が載ってるのでしょうか?
神様がいつ、そのようにしなさいとおっしゃられたのでしょうか?
摂理にも障害を抱えた人たちがいます。
身体の障害、心の障害、様々です。
周りに明かすことができる人、そうでない人、様々です。
全ての人が輝くことは、神様が願っていらっしゃる一番の願いだとおっしゃられました。
神様も主も聖霊様も、また遣わされた者も持っている一番の願いは、 この地球上のすべての人が一人も滅びないで、救われることだ。
-摂理 キリスト教福音宣教会 鄭明析牧師の箴言より
神様はいつの時代も全ての人を愛し、全ての人の幸せを誰よりも望んでいらっしゃるのです。