史上初の米朝首脳会談の意味とはー歴史的経緯

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6月12日10時からシンガポールにて、アメリカのトランプ大統領と北朝鮮の金正恩委員長が史上初の会談をする。

韓国大統領府も、何が起きてもすぐに対応できるように韓国高官をシンガポールに送っている。

明日は日本のメディアの多くが生中継をするとみられる。

目次

両首脳のシンガポール到着を報道するメディア

 

 

北朝鮮とアメリカは、今まで話し合おうとしなかったのか?

今まで全く話し合おうとしていなかったわけではなく、さまざまな経緯により<中止>になっていた。

国のトップ同士の話し合いは、単に望めば出来ることではない。

自国の政治の安定、国内の意見が安定、そして世界全体が平和を一定水準、保っていなければ厳しいということを如実にあらわした<中止>が、過去の経緯をみると連続して起こっている。

 

1994年 金日成氏の死去によりなくなった第一回目の米朝首脳会談

1994年7月25日、金正恩氏の祖父・金日成主席は初の南北首脳会談を予定していた。その後、二回目の南北首脳会談をアメリカで行う予定であった。

アメリカへの訪問は南北首脳会談にくわえ、米朝国交樹立のためとしていた。

しかし、1994年7月8日に金日成主席心臓発作で死去。

急死により7月25日に予定されていた南北首脳会談はなくなり、その後に行われようとしていた米朝首脳会談もなくなってしまった。

当時、アメリカの大統領はクリントン氏であった。

 

2000年 アメリカ側の政権交代と中東問題が強く影響

2000年に史上初の南北首脳会談が行われた。この際、北朝鮮の金正日総書記は、韓国の金大中大統領に、アメリカとの橋渡しを依頼している。
その後、北朝鮮の軍トップと、アメリカの国務長官がお互いに米朝を訪問した。

今回こそ、米朝首脳会談が行われるかと思いきや、クリントン大統領は中東問題を優先しなければいけない状況があった。(当時、中東問題は混迷を極めており、翌年の2001年9月11日はアメリカ同時多発テロが起きている。)

また、2000年11月に行われた次期アメリカ大統領選で、クリントン氏の後継者(民主党)が 共和党ブッシュ大統領に敗れた。

その後もクリントン大統領は米朝首脳会談に意欲を示すものの、次期大統領のブッシュ氏がクリントン氏の対北朝鮮政策に反対していたため、北朝鮮側は「クリントン氏と話しても意味が無い」と判断。

またもや、米朝首脳会談は無くなってしまった。

北朝鮮を「悪の枢軸」と呼んだブッシュ大統領と金委員長の対談計画

2001年にアメリカ大統領に就任したブッシュ大統領は、北朝鮮と金委員長を「悪の枢軸」「無法の政権」「圧制者」「信頼できない人」など攻撃的な言葉で表現していた。
当然、対話の話など上がるはずもない。
しかし、北朝鮮の金委員長は2002年11月、ブッシュ米大統領に朝米関係の正常化を促す親書を送っていたのだ。アメリカはイラク侵攻の準備のため、これを<無視>していた。(2003年3月から対イラク戦争勃発)

2006年10月9日、北朝鮮は史上初の核実験を行うこととなる。

ブッシュ大統領は核実験を受けて北朝鮮との対話を真剣に考え始めたといわれ、2006年11月には「北朝鮮が核兵器を廃棄する場合、朝鮮半島の平和体制構築に向け金正日総書記と朝鮮戦争の終結を宣言する文書に共同署名する用意がある」と話していた。

しかし、今度はチェイニー副大統領ら「ネオコン」の反対にあい、実現しなかった。

ネオコンとは
新保守主義者の意。アメリカ防衛のためには、先制攻撃も辞さずという姿勢をもつ。イラク戦争も主張してきたといわれる

結局、最後は任期切れとなり、ブッシュー金正日首脳会談も日の目を見ることはなかった。

 

核戦争になる可能性があった朝鮮戦争ー終結にアメリカが関わらなくてはいけないのか?朝鮮戦争は国際戦争だ

2018年4月27日に行われた南北首脳会談だけで、朝鮮戦争の終結が決定されそうなものだが、朝鮮戦争終結になぜ、アメリカが関わってくるのだろうか?

 

韓国、北朝鮮の国ができるとき、そして朝鮮戦争にアメリカとソ連が深く関わっていた

1910年から続いた日本による韓国統治は、1945年終戦に伴い終わりを迎える。その後、朝鮮半島を統治すると主張したのが、ソ連とアメリカであり、北緯38度線で朝鮮民族は分断されてしまった。

1950年には北朝鮮が韓国側に侵攻して朝鮮戦争が勃発。
朝鮮半島は大混乱となった。

1950年7月に国連安全保障理事会が国連軍の派遣を決定。

アメリカは韓国の援軍となり、北朝鮮へは中国の義勇軍が参戦した。

南北、中国、アメリカ合わせて死者は推定200~300万人、国全体が荒廃し、戦争孤児多数、1000万人以上の離散家族を生んだ。

約3年にわたって泥沼化したこの戦争において、 アメリカではマッカーサーが原爆の使用をも検討していた。当時の大統領トルーマンにより解雇され、また世論もあって現実になることはなかったが、しかし第二次世界大戦以降初めての核戦争の危機があったといえる。

 

1953年7月27日に休戦協定に正式に署名したのは、北朝鮮軍の司令官、国連軍の米司令官、そして中国人民志願軍の司令官だった。韓国は休戦に反対の立場からこのときは調印していない。

2018年6月現在も休戦状態が続いている。

 

よって、アメリカが終戦協定に大きくかかわっている。
韓国もアメリカも、平和条約は北朝鮮が核兵器の放棄に合意した場合のみ実現可能だとしている。

 

2018年4月27日に板門店で行われた南北首脳会談において、完全な非核化と終戦を<目指す>ことが宣言された。

終戦、そして恒久的な平和の実現へ向かっている。

 

米朝首脳会談の議題とは?何が変わる可能性がある?

北朝鮮は、朝鮮半島の「恒久的かつ永続性のある平和維持メカニズム」について話し合うと発表した。

トランプ氏は首脳会談が、「金氏が最終的に核兵器を全廃する過程のきっかけになって欲しい」と話した。

日本も大きく注目している。

北朝鮮の非核化、朝鮮戦争の終結、アジア諸国の平和、北朝鮮とアメリカの国交正常化などの成果が期待されている。今回で全てが一気に進まなくとも、今回が<きっかけ>になってほしいとの声も多くある。

 

1948年、北朝鮮と韓国が樹立されてから70年たって経た今回の機会
日本にも大きな影響を与える朝鮮半島の平和。

 

どうかこの会談が、<瞬間の機会>を逃さず、必ず恒久平和の実現に繋がることを切実に願い求めます。

 

瞬間の判断と処世で
成功と運命が左右されます。

 

人生を生きる中で<機会>は
「瞬間」来て、去ります。

まるで、それを喩えるならば、
眠りから醒めるその瞬間のようなものです。

瞬間判断できず、行なわなくて
それでその機会を逃したら、
この瞬間、短いこの瞬間を判断できず、
行えなければ、その機会を失い、
1年、10年、20年後に
「その次の機会」が来ることになります。

そうすると
それだけ遅く行なうことになるので、
どれほど損であり、
つらいでしょうか?

何かに直面した時、
人間はこのように考えます。

「ああ、しようか、やめようか、
行こうか、どうしようか?」
このように迷っていたら、
また、どっちつかずにしていたら、
結局「やらない方」に
判断と決定が傾いて、
できなくなることが多いです。

「判断」をしっかりしなければなりません。
<瞬間の判断>で
「運命が左右」されるからです。

 

「瞬間まで奪われるなって?
ああ、これは苦しいことだ…。」
そうじゃないんです。

「瞬間まで神様に与えなさい」
というよりは、
「この瞬間を奪われたら、
全体を奪われて
もっと大きなものを奪われるから、
その瞬間を気をつけて、
瞬間まで神様と共にしよう」
という話なのです。

2017年6月18日主日礼拝より

 

参考:
アセアン情報サイト
エキサイトニュース
外務省
PSIA公安調査庁
産経ニュース
newsclip(Necos ( Thailand ) Co., Ltd.)
CNN
毎日新聞
産経新聞
読売新聞
朝日新聞
日本経済新聞
東亜日報
中央日報
NHK
yahooニュース
diamond.jp
bloomburg
kotobank
ホンシュルジュ
AllAbout

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