ぺたぺた日記を書いてるhanaちゃんと、料理ができる出来ないについて話す機会がありました。
それをきっかけに、料理ができるようになるにはということでまとめてみました。
私もまだまだ修行中ですが、昔に比べれば出来るようになりました。
高校生の頃は、全くやってなかったですからね・・・(”_”)
料理が出来るメリット
・段取り能力が身に着く、脳が活性化する
料理は段取りが全てといっても過言ではありませんよね。食材は何を買い、何を作り、限られた時間の中でてきぱきと進める。一つだけではなく、複数のことを考えながらの作業になります。
ぼーっとしていては失敗することも。
このような理由により、料理をすると脳は非常によく使われます。
実際、日本食生活学会誌によると大阪ガス、東北大学などの共同研究により「調理習慣によって前頭前野機能が向上すること」は実証されているんです。
参考:調理による脳の活性化
前頭前野機能って何?
人間と動物の脳を比べたときに、多く着違うのは、おでこの後ろにある「前頭葉」の中の「前頭前野」と呼ばれる場所です。人間の前頭前野は大脳の中の約30%もしめていますが、動物の中でもっとも大きいチンパンジーなどでも7~10%くらいしかありません。
前頭前野は記憶や学習などをコントロールしているところで、ものを考えたり判断したりするときに働きます。脳はコンピューターのようだとよく言われますが、前頭前野は「コンピューターの中のコンピューター」といえるくらい、大切なところなのです。 ですから、「頭がよい人」は、この前頭前野が発達していると考えられます。
引用:信濃松本新聞
食費が安く済む
ちょっといい食材を購入したとしても、外食よりは圧倒的に安く済みます。
例えば天丼。500円くらいでも食べられますよね。しかし原価は大体100円ちょいです。
例えばお惣菜。100円から200円、300円くらいで売られてますが、原価は数十円で出来るものが多いです。
自分でお金を出すから、いろいろ節約を考え、その中で鍛えられる
自分でお金を出すときに、節約を考えるようになります。
これが自分でお金を出さないと、お金に余裕が出てしまい、安い食材の選択から遠ざかってしまいます。
割り勘でもどこかに心の余裕が出ていたりしませんか??(かといって自分の首を絞めるような過度な無理は禁物ですよw)
自分の好みの味にできる
これは大きい。特に薄味が好みの方は調整出来るほうがいいですよね。
どうしても外食は濃い味になりがちです。
野菜を多くとれるようになる
外食で数種類の野菜をとろうとすると、お金がかかります。
新鮮でたくさんの野菜をとることができます。
加工食品から遠ざかるようになる
薄味や野菜多めになれると、自然と加工食品から遠ざかりたくなります。
また自分で作れちゃうので、加工食品が割高と感じることも多いです。
〇〇のタレ、鍋の素などよくシリーズで売られていますが、実は割高です。
(簡単なのでたまに買うのは良いかもですが)
健康になる
必要以上の濃い味を避け、野菜を多くとり、加工食品から遠ざかるようになる。
これは健康になるしかありません^^
もちろん、自炊していても栄養が偏る食事を続ければ、不健康にはなります。
真心を込められる
真心を込めて作った料理のその味には及びません。
真心とは他ならぬ愛ではないですか。
愛が抜けた料理は核が抜けたのだから
味も意味もありません。
摂理の御言葉より
手作り料理ほど、真心こめて作ることができますね^-^
料理ができないデメリット
料理を普段しない中でたまに自炊をしようとすると
何の食材を買っていいか分からないし
安いスーパーも知らないし
相場も分からないし
買いだめもしてないし
調味料など含めて全部用意しないとだし
慣れてないと調理に時間がかかるため光熱費も増加する。
結果、お金が余計にかかる
自炊のほうがお金がかかってしまう理由の多くはこれらです。
特に、安いスーパーを知らないというのはかなり大きいです。
食材によっては倍以上の値段の差があります。
普段から買ってないと、この野菜が高いのか安いのか?も分かりません。
普段から料理を心がけていると、安い食材を知るようになり、安いスーパーを知るようになり、上手な買いだめもできるようになり、調味料も予め揃えておけます。
調味料も、その都度買うとお金が凄くかかってしまいます。
野菜を食べる機会が減る
野菜は前述のとおり、外食で食べようとするとなかなか大変で割高になります。
人をもてなしたくなくなる
この理由については、以下の御言葉を読むとよくわかります(*‘ω‘ *)
料理ができるようになるには
このような面白い御言葉があったので紹介します^-^
私たちのすべての問題は何か?
「どうして私は変化が遅いの?どうして私はできないの?」
それは、個人がよくできないからです。
だから御子は、個人がよくできるように助けてくださいます。
「呼びなさい。
呼び求めなさい。
実践してみなさい。
練習してやってみなさい」とおっしゃいました。
お母さんにキムチチゲ、韓国人はキムチチゲが好きですね、キムチチゲの材料をお母さんに渡しました。
外国人もいるから、スパゲッティにしましょうか。スパゲッティの材料を渡しました。
麺、トマト、クリームとトマトを両方渡しました。キムチ、豚肉、それが好きな人も全部渡しました。
「自分が好きなように作ってね。スパゲッティ、好きなように作ってね」。
オリーブオイルも渡して、海鮮もお肉も、「好きなように作ってね」と材料をぜーんぶあげました。
これを持っても「どうすればいいんですか?」と聞かないで、材料を与え、レシピをあげたでしょう。
まずはお湯を沸かす。
麺を8分茹でる…レシピを見て、やってみてください。
やってみたら、どうですか?
最初はちょっと、味がね…。
それで、言うでしょう。
「レシピは本当においしいって言うのに、私がやるとどうしておいしくならないんですか?だから、私は料理をしないんです!」
と言わないで、どうすればいいですか?
もう一回やってみて、「ああ、もう一回やってみよう」
とやりながら会得していきますよね、料理の方法を。
3回、4回というと、味が徐々によくなることを見つけて、やりたい味が湧きますよね。
そうやって、もっと料理が上手になると、どうですか?
「他の人に食べさせてあげたい」。
こういう心理がありますよ、各個人には。
わかりますか?
「何で人にもてなすの?」と言う人は、ほとんど料理ができない人です。
皆さん、料理が上手な人は、心理的に人を招待したくなっています。
そうですよね、お母さんたち?
本人の料理の実力がよくないと、ひとまずは買って食べないといけませんね。
こうやって、料理一つすることも、最初はうまくできません。
御言葉を実践することも、最初はよくできないんですよ。
でも、やってみると味をわかるようになるんですよ。
やってみると、
「ああ、何かちょっとわかってきた!ああ、何かやってみたい!」
そういうふうにすると、あとで自慢したくなります。
「ちょっと、来てみて!来てみて!私が見せてあげるから。私がやっておいたことを」
と言って教えてあげながら、その時から火をつけるようになります。
だから、過程です。
個人がうまくする材料は、みんながとてもうまくできるように、材料はとても豊富です。
皆さん、その材料をもって、十分にみんな作れます。
「練習してみなさい。やってみなさい」。
まとめると
・レシピをみてやってみること
・繰り返し行うこと
この二点です。
私がやってみたこと
美味しい手料理をたくさん食べる
これはやってみたというよりは、そういう環境だったということが大きいですw
母親の料理が大好きで、その味はよく覚えています。未だに母親を追い越せる気がしません。
また、摂理の先輩たちの手料理もたくさん食べました。
美味しい料理を食べると舌が味を覚えていて、自分の作った料理を味見をするとオイシイとかオイシクナイとか、どんどん分かるようになっていきます。
(注:料理評論家さんレベルではなく、あくまで家庭料理が美味しい!とわかるという。)
味を見出すには、まずは自分が受けることが大事なんですね。
その心に神様の心を十分に受けてこそ、自分が主を見出すことができます。
見つけることができます。
愛することができます。
信じられます。告白することができます。
御言葉より
レシピ本通りにそのままやってみる
最初は、レシピ本通りにやってみるのが良いです。
大さじ1、小さじ1という分量をきっちり守る。
御言葉にあったように、レシピ本通りにやっても美味しくないことはあります。
でも繰り返すと、コツを覚えて美味しくなり、そのうち自分でアレンジをきかせることもできます。
一度でよくやろうとしたらできない。だから学ばなければならない。
御言葉より
料理上手な人と一緒に料理する
料理上手な人と一緒にやると、レシピ本を見ただけでは分からないことを学べる機会にもなります。
摂理にはたくさん先輩いますから、誰か捕まえてw、一緒にやってみてください。
見て学ぶだけでなく、一緒に料理する、というのがポイントです!
学んでも自分が行なってみなければ「感覚」がない。
自分が行ないつつ学ぶことだ。
御言葉より
料理が出来ないように予定されてる人は誰もいません!
私もまだ修行中です!一緒に頑張りましょう(^^♪