関ヶ原で咲いた忠義の義の花、大谷吉継から学ぶ感謝の生き様

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こんにちは、戦国の武将に憧れるタイム博士です。
戦国武将の生き方は、現代の複雑な社会を切り開く知恵があると考えています。

唐突ですが戦国時代と聞いて、皆さんはどういう印象を持っていますか?
下剋上、戦いばかりしている時代、親兄弟も信じられない時代、野心溢れる時代。

少なくとも争いや自分勝手に生きていく印象が強いのではないでしょうか。
しかし、そんな戦国時代に最後まで忠義を貫いた真実な武将がいるとしたら皆さんは信じますか?

今回のBLOGの主人公は、そんな戦国時代でも忠義を貫き通した武将です。

1.修羅の時代の中、忠義を貫いた大谷吉継
その忠義の武将の名は大谷吉継(図1参照)。
石田三成と徳川家康が対峙した関ヶ原の戦いで、石田三成に味方した武将です。


図1.大谷吉継の肖像画(八幡神社)

関ヶ原の結果はご存知のとおり、家康の勝利に終わりました。家康を恐れた小早川秀秋を筆頭に多くの武将が三成を裏切り、家康側(がわ)についたのが原因でした。

しかし、多くの武将が三成を裏切って家康に寝返る中、吉継は最後まで三成のために戦いました。吉継は数少ない軍勢で、小早川の2万の軍勢を何度も押し返すことに成功しました。残念ながら戦には負けてしまいましたが、三成のため最後まで戦ったその姿に、大谷吉継を忠義の人として尊敬する人は少なくありません。

2.過ぎた日、経緯(いきさつ)を忘れない
なぜ、吉継は最後まで三成と共に戦うことを選んだのでしょうか。戦国時代の終わりとはいえ、正直なところ、家康につけば生き残ることはできてでしょう。

その理由を知るには、吉継と三成の経緯を知る必要があります。

吉継自身は、かなり才知に長けた武将でした。天下を統一した豊臣秀吉、そして徳川家康にも一目を置かれる存在でありました。しかし、吉継には一つの大きな問題を抱えていました。それはらい病です。当時、らい病は不治の病で、見た目も悪くなる病気です。らい病自体はあまり人に移ることのない病気です。しかし、見た目が悪くなる病気のため、らい病を患った吉継と接っして病気がうつるのは嫌だと考え、多くの人が吉継のことを避けるようになりました。

しかし、ただ古くから吉継の親友である三成だけは違いました。

三成は吉継がらい病になっても変わらずに友として接しました。具体的には、お茶の席で吉次が口をつけた茶碗を誰もが避けようとする中、三成だけが吉次の茶碗でお茶を飲みました。吉次を病人としてではなく、友として三成が考えたからできた行いでした。

こうした三成の嘘偽りのない心と行いに、吉継は深く感謝しました。そして、三成が圧倒的に不利だと分かっていながらも、豊臣家のために忠誠を尽くそうとする三成の思いを受け取り、吉継は関ヶ原の戦いで三成のために最後の最後まで戦うことを決意しました。

3. イエスに癒された10人のらい病人、感謝したのは・・・
さて話を変えて、らい病繋(つな)がりで聖書のらい病人の話を見てみましょう。今日の聖句はルカによる福音書、医者であるルカが記録した福音書です。

イエスはエルサレムへ行かれるとき、サマリヤとガリラヤとの間を通られた。そして、ある村にはいられると、十人のらい病人に出会われたが、彼らは遠くの方で立ちとどまり、 声を張りあげて、「イエスさま、わたしたちをあわれんでください」と言った。イエスは彼らをごらんになって、「祭司たちのところに行って、からだを見せなさい」と言われた。そして、行く途中で彼らはきよめられた。(ルカによる福音書17章11~14節)

ルカによる福音書17章では10人のらい病人がイエス様に会った話が記載されています。当時、イエスは失明といった当時では不治の病とされた病気も次々と治していきました(図2参照)。イエスの奇跡の噂はイスラエル中に広まり、聖句に挙げられた10人のらい病人もイエス様に会えば病気を治してくださることを知っていました。だから、彼らの目の前にイエスが現われた時、らい病人たちは機会だとばかりにイエスにらい病を直して欲しいと切実に願い求めました。その様子にイエスは彼らを深く憐れまれ、10人のらい病人すべてを癒してくださりました。


図2. 盲人を癒すキリスト(エル・グレコ)

しかし、本題はここからです。癒された10人のらい病人のうち、イエスに感謝した人は何人いたでしょうか。答えは次の聖句を見てみましょう。

そのうちのひとりは、自分がいやされたことを知り、大声で神をほめたたえながら帰ってきて、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。これはサマリヤ人であった。イエスは彼にむかって言われた、「きよめられたのは、十人ではなかったか。ほかの九人は、どこにいるのか。神をほめたたえるために帰ってきたものは、この他国人のほかにはいないのか」。それから、その人に言われた、「立って行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのだ」。(ルカによる福音書17章15~19節)

答えはたった一人です。癒されたのは10人ですが、その内9人はイエスのことを忘れて自分の道に行ってしまいました。ただ残った一人だけがイエスに感謝し、神様に栄光を帰しました。それも感謝した一人は、信仰と縁の薄い他国人であるサマリヤ人でした。

イエスは残りの癒された9人はどこ行ったのかとおしかりになると共に、感謝した一人に対しては本当によくやったと祝福しました。聖書でも、10人のらい病人の中でよくやった人として記録されたのは感謝した一人だけでした。

4.わたしたちの感謝は足りているのか?
これらの出来事について私たちは深く考えなければならないと私は感じています。神様を信じる、信じないは置いとくとしても、私たちはして貰ったことに対して十分感謝を相手に伝えているでしょうか?

ひょっとしたら当たり前だと思って、感謝の一言も述べていないことがあったのではないでしょうか?

恥ずかしながら、私も素直に神様に対しても、親や友達に対しても素直に感謝できなかったことがありました。しかし、今では感謝することが大きいことだと本当に感じるようになりました。

大げさに言えば、感謝して行った人が歴史によくやったと記録されています。

たとえば、冒頭の大谷吉継の場合ですと、らい病であったとしても治して一人の友として変わらずに接してくれた三成に深く感謝しました。そしてその感謝を忘れることなく、状況が不利だと分かっていても三成のために最後まで関ヶ原を戦い抜き、吉継は殺伐した戦国時代に忠義の花を咲かせました。もし、三成がしたことを吉継が忘れたらどうでしょうか、おそらく関ヶ原で戦い抜くなんてせず、忠義の欠片もなく終わってしまったでしょう。

また、ルカによる福音書で10人のらい病人の中で、ただ一人イエスに感謝したらい病人だけが本当によくやったと祝福を受け、歴史に記録されました。他の9人はイエスが直したことを忘れてしまったため、感謝もせず、自分の道を行って記録にも残らず終わってしまいました。

このようにして貰ったことを忘れず、相手に感謝を現すことは大きいことです。

だから小さなことでもして貰ったら必ず感謝してみてはいかがでしょうか?

生活が感謝で満ち溢れることを祈ります。

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