保育士2年目ヒナ。キリスト教福音宣教会とは大学生時代に出会う。ありのままの記録。
「お前は劣ってる」生きてる意味が分からなかった大学生時代
大学3年の初夏。踏み切りの前に立ち、遠くから向かってくる電車を見つめながら
「このまま飛び込んだら死ぬんだよな。」「まあ、さすがにそんな事ないけど。」そんな事を考えていた。
自分の価値がわからなかった。生きている意味がわからなかった。
大学の同期からは「お前は劣ってる」と、能力の低さを指摘され、「もっと頑張れ」と責められる日々。
先輩からは「お前は自分がない」と机を叩きながら怒られる。
後輩からは「正直、先輩の事信頼してないんで」と言われる始末。
バイトではミスばかり。
店長からは「あなたが来るとレジのお金が狂う」「またあなたか」「地球は自分中心に回ってるとでも思ってるのか」と罵倒される。
全ての人が敵だった。全ての言葉が、胸をえぐる剣のようだった。
うさ晴らしに、仲のいい後輩を連れて、居酒屋で気の済むまで飲んだ。いわゆるやけ酒。
それから彼氏にLINEして心の安定を求めた。でも満たされるのは一瞬で、結局は虚しいだけ。
向こうから告白してきたのに、「もう付き合えない」と彼氏にもフラれた。
大学3年にして、人生で得た教訓は「永遠な愛と永遠な幸せはない」という事。
睡眠障害になって心療内科に通いながら、スクールカウンセラーに行って毎週涙を流す日々が続いた。
そんな人生のどん底から救ってくれたのが、鄭明析牧師の言葉だった。
「今まで聞いた全ての言葉と違っていた」 教会との出会い
大学3年の冬、ある教会のメンバーと出会い、鄭明析牧師の御言葉を学ぶようになった。
「あなたは愛されるために生まれたんだ」と何度も教えてくれた。「あなたは最高だ、本当に価値がある」「私についてきなさい」そのメンバーを通して鄭明析牧師はそう教えてくれた。
それでも自分の良さを認められない私に、こうも話してくれた。
「人はみんな個性の王だ」
一人一人が誰とも比較しようのない個性をもっている。
その個性を輝かせて、一人の個性の王になって生きるんだと。
今まで聞いた全ての言葉と違っていた。胸をえぐる、剣のような言葉ではなかった。
ズタズタに傷ついた心を、縫い、優しく覆ってくれる言葉だった。その言葉一つ一つに力を受けた。
自分の心の深くに刻み込まれた自己否定感を覆すのは簡単ではなかったが、ある日はっと悟った。
「そうか、好きな色の“白”と、好きな動物の“パンダ”。白とパンダどっちが好き?と聞かれても答えようがないように、私とあの人どっちが良い?と聞かれてもそんなの神様からしたらそもそも比較対象じゃないんだ。」
私たちは互いに互いを比較するけど神様は人間同士を比較したりしない。一人を一人として愛している。
みんなは比較し合っていたとしても、ここ(摂理)では比較される事なんてないんだ。
気づいてからは、少しずつ自分に自信がついてきた。やりたかった事、言いたかった事を部活で発言出来るようになった。人から何か言われても、「御言葉」という絶対的な真理を学んだから、事の善悪、真偽をすぐに分別出来たし、絶対にブレなかった。
「変わったね。前はあんなにうじうじしてたのに。」自分の変化は他人からも目に見えるものだった
鄭明析牧師の御言葉を学んでから数ヶ月後、散々責められていた部活の主将から
「お前、変わったな」と言われた。
「前はあんなにうじうじしてたのに」と。
嬉しかった。認められたのが嬉しかったし、御言葉で自分が変われたことが心の底から嬉しかった。
その頃、母からも「何か変わったね。世界を走ってるみたい」と言われ、自分の変化は他人からも目に見えるものだった。何よりも自分が一番感じた。
「生きるのが辛い」と彼氏に恋愛相談していた過去とはさようなら。酒とも、精神安定剤とも、弱い自分ともさようなら。本当に毎日が楽しくて、もう自分には価値があるとしか思えなかった。
母に教会の御言葉を伝えた
自分がこんなにも変化したから、母にもこの御言葉を、鄭明析牧師を知ってほしいと思った。
当時私の弟は高校不登校中、事あるごとに自分の部屋に引きこもっていた。頭を悩ます母に、私は御言葉を伝えた。
「お母さん、愛だよ、愛で覆うんだよ」
信仰の幼い私が、少ないボキャブラリーから選んだ言葉。
しばらくして母からLINEが来た。
「お姉ちゃんの言った通りにやったら解決した」
この御言葉はただの言葉以上に力がある。そう確信した。人の耳だけじゃなくて、心の、魂の奥深くにまで響く言葉だと確信した。
母に教会の事、鄭明析牧師の事、全て話した。当時母は仏教徒だったが、構わず話した。最初は半分強引に、聖書の話も伝え始めた。もちろん、母の仏教信仰は抜けなかった。でも、涙で祈るたび、その後の礼拝ではいつも「委ねなさい」と鄭明析牧師が説教で話してくれた。
「神様に委ねなさい」
他人の人生の問題にここまで責任を負ってくれる人が他にいるだろうか。
自分の心、考えを全て委ねて母に伝え続けた。母は御言葉を聞く中で、仏教では教えてもらえなかった「人生の目的」を学び、何とも比較できない大きな「愛」を感じるようになっていった。
御言葉を学んで約半年、母は「本当は今まで修行が辛かった。私は、幸せじゃなかったと気付いた」と言った。
それからはもっと御言葉を学ぶようになった。そして、鄭明析牧師に出会い、その若々しい姿を見て、母もどんどん若々しくなっていった。今まで「ぼーーーっ」とする事が趣味だった母。今は庭の手入れをしてガーデニングを楽しんだり、歌、芸術、日課の聖書読みをしたりと忙しくしている。
母も完全に変わった。考えが変わったから、日々の生活が変わった。
仕事と家事に追われ、休日はどっと押し寄せる疲れに困憊する生活が変わった。
本当に生き生きしている母の姿があまりにも嬉しい。
私たち家族を変えてくれたもの
私たち家族を変えてくれたのは他でもない、鄭明析牧師と、その御言葉だ。
どんな自己啓発本を読んでも、精神科に行っても、カウンセリングを受けても変われなかった私を変えてくれた。
大学3年で得た「永遠な愛と永遠な幸せはない」という教訓は完全に覆った。
あまりにも大きく、永遠に変わらない尽きることのない愛を与えてくれ、永遠な幸せがあることを教えてくれた。
昨日も今日も、鄭明析牧師は変わることのない愛を与え、御言葉を伝えている。