筆者自己紹介
2017年、10代後半で摂理の教会に通い始める。両親がそれぞれ別の宗教で信仰を持っているなかで産まれたいわゆる「宗教2世」。摂理の御言葉を学び始めて7年ほど。 趣味は漫画を読んだり描いたりすること、写真や動画の撮影・編集、史跡巡り等。 チョンミョンソク牧師(以下、先生)がベトナム戦争で神様と共にした経緯を描いた漫画「早暁の鷲」(https://www.alphapolis.co.jp/manga/82980077/349474946/episode/4041252)の作者。
はじめに ~新興宗教と共に育った幼少期~
私の両親は、私が産まれる前からそれぞれ異なる新興宗教に所属していました。
物心ついた時には父や母に連れられ各宗教の集会や催し物に参加しており、私にとって「宗教」はとても身近なものでした。「宗教2世」として産まれながらも、成長するにつれてそれぞれの宗教に違和感を覚え、宗教全般を毛嫌いするようになった私がなぜ今「摂理」にいるのかお話しできればと思います。
両親が所属していた新興宗教について
父は仏教系の新興宗教、母は多数の宗教の教えや独自の解釈が入り混じった小規模新興宗教に所属していました。
どの宗教なのか気になる方は多いかと思うのですが、本記事の趣旨とは違ってしまうため名称は伏せさせていただきます。
中学1年生頃まではどちらの宗教の集まりにも参加していましたが、それ以降は徐々に父や母の誘いを断るようになり、高校生の頃にはどちらの宗教とも完全に距離を置くようになりました。
なぜ父母の通う宗教を離れたのか
母の宗教団体は、とあるキリスト教系の宗教団体に所属していた信徒たちの一部が、教団から要求される多額の献金に嫌気が差して立ち上げた団体です。キリスト教だけでなく、仏教、神道や、古事記や日本書紀に書かれている日本の神話などを教えに取り込みながら、独自の解釈を展開していました。活動内容としては、月に一度信者たちが開催する勉強会に参加したり、不定期に開催される行事に参加したりといったことが主で、家では毎朝祭壇の水を取り替えたり呪文を読み上げたりしていました。私も母に同行して勉強会や行事に参加したり、韓国にある教祖の家に行ったりしていました。
私が母の通っていた宗教を離れた理由は
・献金の多寡によって教団内での扱いが違っていたから
・教理に矛盾が多く、信じる内容も「肉体が永遠に生きる」といった信じがたい内容だったから
・呪文を読み上げても何かが変わったり願いが叶ったりすることがなかったから
というのが大きな理由です。
それぞれの項目についてもう少し詳しく書いていきたいと思います。
・献金の多寡によって教団内での扱いが違っていた
先ほど、母の所属していた宗教団体は「教団から要求される多額の献金に嫌気が差して立ち上げた団体」と申し上げたかと思うのですが、実態としてその宗教には献金の金額によって信徒間の上下関係が生じていました。私の家は裕福な家ではなかったので母もあまり献金できていなかったようなのですが、少額しか献金できないことを咎められ、「もっと献金しないといけない」と言われることもあったようです。また、献金を多くしている人間の方が教団内での発言力も強かったように思います。
また、献金以外にも掛け軸や石などを信徒に販売していたりもしました。母は「それほど高額なものじゃない」とは言っていましたが、地球外のどこかにあるところから拾ってきたという石は、私にはただの川辺の石にしか見えなかったし、数万円で買うようなものにも思えませんでした。
また、母の宗教では教祖に会ったり祈祷をしてもらったりする際にお金を渡します。母が私を教祖に会わせる際にも、教祖の男性に封筒に入ったお金を渡していました。母はもう30年はその宗教に所属しているし、100人も信徒がいないような小さな団体であるにもかかわらず、その男性は私の母の名前を憶えておらず、お金だけ封筒から抜き取ってお金は無造作にポケットにいれ、封筒だけ母に返してきました。数万円という小さな額ではありましたが、私たち家族にとってはなけなしのお金でした。とてもみじめで、悔しかったです。
教理に矛盾が多く、信じる内容も「肉体が永遠に生きる」といった信じがたい内容だったから
こちらについては、詳しく書くと該当団体の特定や批判につながってしまうかと思いますので詳細は伏せさせていただきますが、「肉体が永遠に生きる」以外にも子どもながらに論理的矛盾を指摘せざるを得ない話ばかりでした。
呪文を読み上げても何かが変わったり願いが叶ったりすることがなかったから
母の宗教では何種類かの呪文があり、それを自宅の祭壇の前で読み上げてお祈りするということを信仰活動の一環として行なっていました。一度、せっかくならまじめにやってみようと思い母以上に熱心に祈っていたことがあったのですが、毎日決まった呪文を唱えることに意味を見出せなかったし、生活に何の変化もありませんでした。
父の通っていた宗教を離れるようになった経緯
父の通っていた宗教は先程述べた通り仏教系の新興宗教で、不定期に特定の信徒(支部長や希望者など)の自宅でお経を読む集会をしたり、年に数回開催される教団の持つ宿泊施設に泊まり込む催しに参加したりということをしていました。父と一緒に集会や泊まりの催しに参加したことも、自分の家にたくさんの信徒がやって来て集会をしたこともありました。母は父の通う宗教の人たちを毛嫌いしていた上に人を家に招くのが嫌いだったので、人が来るたび両親が喧嘩していたのを覚えています。
一方で、信徒の方たちは人当たりもよく、幼かった私を可愛がってくれたり、お経を読むのが難しい年ごろの子どもたちも楽しめるようなイベントを開催してくれたりと、私自身はそれなりに楽しく過ごしていました。
それでもその宗教を離れたのは、
・お経を読むことだけでは何も解決しないと思ったから
・何でもかんでも「先祖が助けてくれた」ということにされるのに納得できなかったから
・家の経済状況が見るからに悪化していったから
・良い人格を具えても根本的な解決にならないと思ったから
という理由からです。
こちらも詳細を書いていきたいと思います。
・お経を読むことだけでは何も解決しないと思ったから
母の宗教の「お祈り」とも似た内容なのですが、文章の決まったお経を読むだけで自分が抱えていた問題が解決するとも思えなかったし、お経を読んでいる時間に問題を解決できるよう努力することの方がよっぽど意味があるのではないかと当時の私は感じていました。(お経を読むことを否定している訳ではありません。当時は反抗期かつ厨二病全盛期だったもので…)
また、集まりで聞かされる「お経を読んで変化したこと」の話が、毎度毎度「不登校の友達が学校に来るようになった!」というものだったので、不登校の友達もおらず、お経と不登校の友人が登校を再開したことに何の因果があるのかも分からなかった私は、お経を読む意味を見いだせませんでした。それでも決めつけるのは良くないと思い、毎日お経を読んでいた時もありましたが、読んでみても実際に何かが変わったり先祖が救われたという感覚が得られたりすることもなく、私はお経を読むのをやめました。
何でもかんでも「先祖が助けてくれた」ということにされるのに納得できなかったから
仏教系の宗教ということで、「先祖」に対する敬意や感謝を大事にしようという教えがありました。もちろん今の自分があるのはご先祖様の存在あってこそというのは今も昔も感じているのですが、生前普通に農作業や一般社会人をしていたご先祖様たちが死んだ途端に現世で事故から人間を守ったり進路の一大事を成功に導いたりする特殊能力を持つようになるイメージがどうしてもわかず、自分が必死に努力したことまで「先祖のおかげ」とされるのに少し違和感がありました。
家の経済状況が見るからに悪化していったから
父の勤めていた会社は、会社の社員全員がその宗教団体に所属していました。
父は毎日お経を読んで、毎月のように集会にも参加し、時には自宅にも信徒を集めるほど熱心に信仰生活を送っていましたが、会社の経営が傾き、我が家の経済状況もどんどんひっ迫していきました。また、会社の経営状況が悪化した際、支部長を務める社長に言われて父は会社のために借金をして会社の運営に回し、大幅に削られた給料では足りなくなった生活費を賄うため、家族に内緒で更に多額の借金を背負うようになりました。父の同僚の中には自己破産まで追い込まれた人もいたそうです。
家の経済状況の悪化を受け、こんなに熱心にやっても何も変わらないどころか状況が悪化しているじゃないかと感じるようになるころには、私の心は完全に冷め切ってその宗教に対して良い印象は持てなくなっていました。
良い人格を具えても根本的な解決にならないと思ったから
父のいた宗教では、明確に教理として定義されていた訳ではありませんでしたが、感謝や思いやり、あいさつといったことを大切にしていたので、信徒には「いい人」が多かったです。
しかし、表向きいい人に見えても、社員の生活や家族を犠牲にしてまで自分の地位を保とうとする社長(支部長)や、会社のお金を横領する人、都合が悪くなると逆上してくる人、母の悪口を言ってくる人… 成長するにつれその人たちの言っていることと行動の矛盾が目につくようになりました。
もちろんそんな人ばかりではありませんでしたが、当時の私は、周りの人に良くしたからといって家計の状況も家族内のトラブルも自分の人生も解決するわけではないと嫌というほど実感していたし、その時抱いていた「自分の生きる意味」や「死んだらどうなるのか」といった疑問と向き合うには「優しさ」だけでは足りないと感じていました。もちろん人に思いやりを持って接することは「兄弟愛」という形で聖書にも書かれている内容ですし、それ自体に意味がないとは考えていません。しかし、それだけでは甲斐のある人生は送れないと思っています。
摂理では?
摂理に所属している人たちについて、「宗教のことをよく知らないから何かがおかしくても気づけないんじゃないか」「無知に付け込まれて騙されていることに気づいていないんじゃないか」と思っている方は少なからずいらっしゃるのかなと考えています。
先ほどお伝えしたように、私は父の宗教でも母の宗教でもその教理や実態を確認し、自分の判断でどちらの宗教団体とも距離を置くようになりました。宗教の専門家ではないものの、宗教を見抜く力や経験値は人並み以上に持っていると自負しています。
そんな私から見て摂理はどんな場所なのかお伝えしていきたいと思います。
お金について
摂理の教会では、通常の教会でも実施される十分の一献金や主日ごとの献金はありますが、献金を強要されたり献金の多寡によって教会での境遇が変わったりということは一切ありません。
私自身、経済状況が安定しておらず献金できなかった時も教会の人に直接指摘されたことは一度もありませんでしたし、逆に感謝を込めて多めに献金した時には「献金無理してない?」と心配されるくらいでした。(話しかけてくださった方が私の献金状況を知っていて話しかけてくださったのか、たまたま生活を心配して話しかけてくださっただけなのかは分かりませんが 笑)
私の所属している教会では決算報告も行なわれていて、知ろうと思えば教会の献金がどのように使われているのか誰でも知ることができるようになっています。
私は過去の経験もあり宗教とお金の関係にはシビアな人間だと思います。だからこそ、御言葉だけでなく、教団や教会が使っているお金についても目を向けて摂理が信じてもいい場所なのか判断してきたつもつもりです。摂理では、多額の献金を強要されることも、法外な値段の商品を売りつけられることもありません。発行されている書籍やグッズなどはありますが、一般的な価格帯の物しかありません。
お祈りについて
話せばキリがないのですが、お祈りして信仰的なことだけでなく、実生活にも良い変化がありました。
不仲だった家族仲が改善したり、転職しようと思っていたタイミングで良い仕事を紹介していただいたり、祈っていた通りの靴を旅先で見つけたり…
もう少し身近なところでは、ディズニーに行くとき、もともとは雨の予報だったのに当日になって晴れたおかげで人が少なかったり、一番くじで推しが出たり、ランダム商品で2個しか購入していないのに推しを引き当てたり…(ヲタ活にも共にして下さる神様)
教会に通い始める前はうまくいかないことばかりで自分の至らなさを痛感していた(正直なところ自分の不幸を嘆いていた)のですが、御言葉を学んで教会に通うようになってから、正直大小問わずかなりの「ラッキー」に恵まれている気がします。笑
もちろん祈ったうえで自分が努力するというのは大前提ですが、努力ではどうにもならないことばかりだった人生が、努力が報われるような人生に変わったなぁというのが信仰生活を送りながら感じていることです。
お祈りについては書くことが本当にたくさんあるので、また別の機会にお話しできたらと思います。
教理について
摂理では聖書の御言葉を論理的に解き明かしていて、明確な教理があります。そしてその教理は現実と乖離したものではなく、むしろ現実とは切っても切り離せないものです。
御言葉を学んだ方の中には、御言葉を聞いても実生活とのつながりが見えず、自分への必要性を感じなかったという方もいらっしゃるかと思います。しかし御言葉で学んだ精神で祈りながら神様の中で実践した時、自分の生活が変化し、それによって人生も大きく変化するということ、そして自分に働きかけてくださる神様の存在を感じるしかないと思います。
そう断言できるほど、正しく祈って御言葉を実践したときに得られるものが明確です。
御言葉の内容や、摂理のメンバーたちがどのような考えで生活しているのかといったことは、他の方が描いているブログからも分かると思います。
摂理に来た経緯 「摂理の矛盾点を指摘してやる!」
父と母が通っていた宗教の集まりに行かなくなる頃には、宗教に対して苦手意識どころか憎しみすら覚えるようになっていましたが、それでも「自分の生きる意味」や「死んだらどうなるのか」といった問題は私の頭にこびりついて離れませんでした。
摂理に出会うまで、私は論語などの古典を読んだり、歴史上の偉人たちの名言を読み漁ったりしながら、自分なりに考えを深めたりして、何とかして人生の答えを探し出そうともがいていました。しかし、何を読んでも矛盾ばかりが目について、どれだけ努力しても悪化し続ける状況に心が折れそうになりながら、むなしさばかりが募っていきました。
人生のむなしさを感じながらも自分にできることをしようともがいていた時に、御言葉を教えてくれるメンバーの方と出会いました。
宗教には並大抵でない嫌悪感があったので御言葉を聞くことを勧められた時も強めにお断りしていたのですが、「死ぬのは怖くない」とまで豪語したその人を見て、「そこまで言うなら、御言葉とやらを聞いてさっさと矛盾点を指摘してやる!」と息巻き御言葉を聞きはじめました。また、御言葉を教えてくださった方が、聖句を引き合いに出して「御言葉だけでなく、御言葉を学んでいる人たちのことも見て確認したらいい」と言ってくださったので、しばらく監査員のような眼差しをいろいろな人に向けて御言葉とメンバーたちの行動に矛盾がないか確認していました。
マタイによる福音書 7:17-18 口語訳
「そのように、すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。
良い木が悪い実をならせることはないし、悪い木が良い実をならせることはできない。」
成長中で完璧ではないところは人間誰しもあると思いますが、日々もがきながら御言葉を実践して人格を磨き、努力して結果を残していらっしゃる方ばかりで、難癖付けようとしている自分が恥ずかしくなるくらいでした。
人だけでなく、御言葉そのものについても確認を重ねました。
御言葉を聞いて分からないところはその都度質問して内容に矛盾が無いか確認し、お祈りをして実際に何が変わるのか確かめる生活を半年ほど続けました。そして御言葉を真理だと認め、神様がお祈りを聞いてくださっていると確信した時、信仰を持つようになりました。
チョンミョンソク牧師について
私が摂理の教会に通っている理由の一つは、御言葉を伝えてくださったチョンミョンソク牧師が心から信頼できる方だと思ったからです。
先生についてお話ししたいことはたくさんありますが、今回は私が先生の故郷である月明洞を訪れた時のエピソードをご紹介したいと思います。
私が月明洞を訪問したのは夏だったのですが、皆が熱中症にならないよう1時間に1回くらいのペースで果物やアイスをその場にいる全員に行きわたるように下さったり、お腹が空いているのではないかと気遣って海苔巻きを皆に御馳走してくださったりしました。
月明洞では、滝や池、神秘的な松や岩、青瓦がきれいな先生のお住まい、野心作と呼ばれる雄大な岩の造形など、ここには書ききれないほど見るべき作品がたくさんあります。先生のお住まいは開けた運動場からよく見える位置にあり、外観だけなら月明洞に訪れた人は誰でも見ることができます。メンバーたちのことを思いやってくださる一方、先生ご自身はとてもシンプルなお家にお住まいだったので、私たちばかりこんなによくしてもらってよいのだろうか?と驚きを通り越して申し訳なさすら感じました 。
月明洞には、大勢の老若男女が韓国内外から集い、毎日入れ替わり立ち代わりで訪問していました。全員と話したり、握手したりといったことをしていては全く時間が足りません。それでも、先生に会いに遠くからやって来たメンバーたちや、日頃の信仰生活を熱心に走っている功績者たちと一人でも多く経緯を作ろうと、20代の私が見てもビックリするくらい朝から晩までサッカーやテニスをして走り続けていらっしゃいました。
メンバーたちが休憩している間も、先生はマイクを持ってスポーツを見ているメンバーたちに話しかけていらっしゃって、休む暇もなさそうでした。ひたすら御言葉を伝えて、スポーツをして、月明洞内の整備作業をして… 本当にスケジュールが常人離れしていて、「一体いつ寝たりご飯食べたりお風呂に入ったりしてるの?!」というレベルの生活に度肝を抜かれました…。私が実際に月明洞を訪問して先生にお会いできたのはたったの数日間でしたが、それだけでも先生の驚異的な生活を感じるには十分でした(というより先生のスケジュールに同行するのは数日が体力的に限界です 笑)。そして摂理には、その数日を月明洞で過ごしてきたメンバーがたくさんいます。 メンバーたちが見てきた先生の生は、いつも超人的なものでした。先生の生そのものが、何よりも神様を最優先にし、誰よりも神様を愛しているという何よりの証明だと思います。
おわりに
父と母の所属していた2つの新興宗教の人々や、地元で幼い時にお世話になったお寺のお坊さん、摂理以外のクリスチャンの友人たち… いろいろな信仰を持つ人と出会い、たくさんの話を聞きましたが、その上で私が今摂理にいるのは、摂理で学んだ御言葉だけが私の抱えていた人生の問題を根本的に解決してくれたからです。そして、御言葉と祈りを実践する中で、愛にあふれた神様を感じるしかなかったからです。
もちろん摂理で信仰を持ったからと言ってつらいことが何もなくなるわけではないし、むしろ目標を持って行うようになったからこそ試練にぶつかることも多いです。それでも、何をしたらよいかもわからずに虚しさだけを抱えて苦しかった日々と比べると、今の日々はあまりにも甲斐に満ちています。
これからも、御言葉を実践しながら神様も自分も納得できるような生を重ねていきたいと思っています。
この記事が、少しでも多くの方に摂理と先生のことを知っていただく機会になれば幸いです。