イエス様が受けた苦難と、その教えとはどのようなものだったのか?

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イエス様が受けた苦難とは、一体なんだったのか。イエス様の教えとは、どのようなものだったのか。
 

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イエス様が受けた苦難とは

聖書を読んだことのある人は良く分かっていると思いますが、世の中で最も大きい生き方をし、人間に対して大きな仕事をしに来た人の中で、イエス様のように苦難や困難にたくさんあった人もいないといえます。

イエス様は川に溺れている人を引っ張り出してあげるときに受けるような困難、苦難を受けたのではありません。そういう苦難だったなら、全てに耐え忍んでイエス様がやるべきことが全てできたはずです。ある人のためにお金を稼いであげたり、汗を流して苦労するそのような苦難でもありません。

イエス様の苦難は、イエス様の事を誤解し、救われるべきユダヤ教の人たちが無知によって計画的に苦難と艱難を与えたという事です。穴に落ちている人を出してあげる時に生じる苦難ではなく、人を救おうとしているのに皆がイエス様に汚名を着せ、迫害をし、害を与え、鞭を打ち、十字架に捨てられる、そのような苦難を受けました。

私たちが考える苦難とは違うんです。皆さんもたまに誤解を受けたり、汚名を着せられたり、根拠のないことを言われたりして受ける苦難があるでしょう。そうするとき、イエス様の苦難の心情を悟るようになります。彼はまず多くの苦しみを受けるというのはこういう事を話したのです。

イエス様はイスラエル民族を中心にして全人類を救うために来られました。神様の御言葉を皆に伝え、神様の御旨通りに生きるようにして救ったし、神様の御心をどのようにして成していけるのかを教え、救われた人としての生き方ができるようにしてあげました。イエス様は途中から苦難を受けたのではなく、現れてから早速多くの苦難を受けはじめました。どうしてそんなにもイエス様の事を理解できなかったでしょうか。天の理想を待ち、メシヤを待って神様を待っていた人たちは、神様がいらっしゃると聖書に書いてあったので、少しでも神様のような役割をする人がいたら頭ごなしに信じないで苦しみを与えました。

17:25しかし、彼はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない。 17:26そして、ノアの時にあったように、人の子の時にも同様なことが起るであろう。 17:27ノアが箱舟にはいる日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていたが、そこへ洪水が襲ってきて、彼らをことごとく滅ぼした。 17:28ロトの時にも同じようなことが起った。人々は食い、飲み、買い、売り、植え、建てなどしていたが、 17:29ロトがソドムから出て行った日に、天から火と硫黄とが降ってきて、彼らをことごとく滅ぼした。 17:30人の子が現れる日も、ちょうどそれと同様であろう。 新約聖書ルカによる福音書17章25節ー30節

 

イエス様の教えは既存の教えと全く違った

イエス様の教えることとユダヤ人たちが持っていた既存の教えとは全く違いました。だから一言いうだけでもケチをつけられ害を与えられました。イザヤ書66章15節には、神様が直接降臨なさると書いてあります。ユダヤ人たちは神様が直接来て働かれると信じていたし、イエス様は地上で人を通して働かれるとおっしゃいました。だから一言いうだけでも合わなかったのです。イエス様の言葉とユダヤ人たちの言葉が違ったので、その行ないも違いました。だからイエス様とユダヤ人たちは極端に分かれたのです。川の向こう側にはユダヤ人、川のこっち側にはイエス様についていく人たちがいて分かれるようになりました。

ユダヤ人たちはこの世の中を火で裁くと思っていましたが、イエス様はルカによる福音書12章49節にあるように、

12:49わたしは、火を地上に投じるためにきたのだ。火がすでに燃えていたならと、わたしはどんなに願っていることか。

御言葉の火で神様が人を通して、御言葉で善悪を見分けて裁くとおっしゃいました。イエス様は御言葉で裁いて、間違いを犯した人には悔い改めなさいと言ったし、それでも悔い改めない人はそれなりの刑罰を受けると言いましたが、ユダヤ人たちは、間違いを犯した人は神様が火で全て滅ぼすと主張しました。このように一言いうだけでも互いに違ったから戦いが起ったのです。

主観が違うから戦いが起るんです。家族でも恋人でも互いの主張が違ったら戦うようになります。だからと言ってイエス様がその主張をやめることはできません。ユダヤ人はその主張をやめないと救われませんが、イエス様は御言葉が火だと主張するとき彼らを救うことができたのです。

ユダヤ人たちは聖書を文字通りに絶対化して主張しました。今のユダヤ人たちは聖書を文字通りに解釈しています。火は文字通りの火だと解釈しているし、雲は雲として、空中は文字通りの空中、つるぎは文字通りのつるぎだと解釈をしています。

しかし、イエス様は火を真理と解釈して教え、空中のことを地球として解釈し、雲を人間として解釈をし、肉は霊に解釈し、万物の全ての比喩を人間のことだと解釈をして教えました。彼らは文字通りに解釈をしたので神様の歴史が成されていても知らなかったし、むしろ反対をして、イエス様を苦難の主として見捨てることになったのです。

今までユダヤ人の主張のように神様も来ていないし、火で裁いたこともないし、肉体の復活もなかったし、空中に引き上げられることもなかったので、この地上に天国が成されているのに知らなかったし、神様がイエス様に霊として降臨なさってきていらっしゃるのも悟れなかったので、迫害をして様々な苦難を与え、イエス様を十字架につけて殺してしまいました。

1999年5月23日 主日礼拝
主題:「苦難と栄光」より抜粋

 
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