「心と考え」「体」はどこに行っているのか。神様はそれを見て、<祝福>もくださり、<裁き>もなさいます。
神様がモーセを呼んだとき、モーセは聖なる山、ホレブに行っていました。このとき神様はモーセに現れて、「あなたが立っている所は聖なる地だから、あなたの足の靴を脱ぎなさい」と教えてくださり、エジプトからイスラエルの民を導き出すことをおっしゃいました。(出エジプト記3章)
「あなたが立っている所は聖なる地だから、あなたの足の靴を脱ぎなさい」ということは、「神様がいらっしゃる所であり、神様の御心のある所だから、ちょうど部屋で靴を脱ぐように、靴を脱ぎなさい」ということです。
霊的には、靴を脱ぎなさいということは、「自分の考えと自己中心を捨てなさい」ということです。
また、靴を脱ぎなさいということは、「けがれを捨てなさい。心と行ないのすべての罪を悔い改めなさい」ということです。
「聖なる所だから靴を脱ぎなさい」ということは、「神様と聖霊様と御子が決めた場所であり、いらっしゃる場所だから、ほかの場所と区分できるように、清くしなさい」ということです。
「靴を脱ぎなさい」ということは、「神様がいらっしゃるから、考えと行ないを改めなさい」ということです。
部屋に靴を履いて入ってきた人に、「ここは部屋だから、外で履いていた、よごれた靴を脱ぎなさい」と言います。
これと同じく、モーセは神様がお使いになる人だから、ホレブの山でモーセに「あなたの足の靴を脱ぎなさい。あなたが立っているところは聖なる地だ」とおっしゃいました。これは「清さ、清潔さ」を言ったのです。
人間のすべての心と考えと行ないを監察し、その瞬間に、行なったとおりに報いるのではありません。悔い改める期間を与えてくださるが、実際罪を犯す瞬間から刑罰の期間に入ったのです。悔い改めなければ、定めた日に人に告げるようにさせ、あるいは自分が直接告げるように、御わざで行ないます。そして行ないどおりに条件を立てて上がってくるようにさせるのです。
神様と聖霊様と御子は、この世のすべての人たちの「考え」まで、「実際の行ない」としてご覧になります。「考え」で行なうからです。
肉の脳で考えたことを魂がそのとおりに行ないます。神様はそれを見て、その実体を録画して映像でご覧になります。そして行ないどおりにお裁きになります。
<2014年1月28日火曜日 明け方>
冒頭画像出典:ディルク・ボウツ「モーセと燃える柴、靴を脱ぐモーセ」1465-70年 フィラデルフィア美術館