神様の御言葉で「自分」を清く作っておいたら、その時に使ってくださり、祝福もくださいます。このことを切実に悟って、各自もっと清くすることです。
イエス様は弟子たちの足を洗いながら「すでにからだを洗った者は、『足』のほかは洗う必要がない。<全身>がきれいなのだから(ヨハネ13:10)」とおっしゃいました。
このように、<大きいこと>はすべてしてくださったから、「残りの小さいこと」だけきれいにすればいいです。池から「花びらと葉っぱと浮いているさまざまなもの」を取り除くように、霊的に、肉的に自分をきれいに掃除しなければなりません。「その程度のきれいにすべきこと」は誰にでもあります。
<大きいこと>をきれいにしても、「小さいこと」をきれいにできなければ、全体がきたなく見えます。
<全身>をきれいにしても、「足」は歩いて使ったから、日が暮れて部屋に入るとき、必ずきれいに洗わなければなりません。誰にでも「この程度の洗うべきところと、きれいにすべきこと」はあります。
2021年8月8日主日の御言葉 <主題>清く瑕なくしなさい
2022 主日礼拝の主題と要約
キリスト教福音宣教会で2022年に伝えられた、主日礼拝(日曜礼拝)の主題と御言葉の要約です。 参考:キリスト教福音宣教会 公式御言葉twitter 2021年 主日礼拝主題一...