イエス様がマリヤとマルタの家に御言葉を伝えに行かれたときです。妹のマリヤはイエス様のそばで足元に座って御言葉を聞いていたし、姉のマルタはイエス様をもてなすために準備すべきことが多くて忙しかったです。
新約聖書 ルカによる福音書10章
38.一同が旅を続けているうちに、イエスがある村へはいられた。するとマルタという名の女がイエスを家に迎え入れた。
39.この女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、御言に聞き入っていた。
だからイエス様のところに行って「妹に、私一人を働かせないで、私を手伝うようにと言ってください」と言いました。
新約聖書 ルカによる福音書10章
40.ところが、マルタは接待のことで忙がしくて心をとりみだし、イエスのところにきて言った、「主よ、妹がわたしだけに接待をさせているのを、なんともお思いになりませんか。わたしの手伝いをするように妹におっしゃってください」。
イエス様がマルタに、「マルタよ。あなたは多くの仕事で心配し悩んでいるのか。何種類かだけ、あるいは一つだけやりなさい。それでも私は十分だ」とおっしゃいました。
新約聖書 ルカによる福音書10章
41.主は答えて言われた、「マルタよ、マルタよ、あなたは多くのことに心を配って思いわずらっている。
42.しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。マリヤはその良い方を選んだのだ。そしてそれは、彼女から取り去ってはならないものである」。
イエス様がマリヤの家に行ったのは御言葉を伝えるためであって、食事することが目的ではありませんでした。それなのにイエス様をもてなすのに度が過ぎるほどやるから、負担になるやり方で接して仕えることをしないでとおっしゃいました。
私たちも神様を信じ仕え愛するとき、そうしなさいと言いました。神様の方法は度が過ぎることはありません。
自分が知り合いに招待されてその人の家に行ったとしましょう。自分をもてなすといって、その家の家族みんなが忙しく走り回って互いに意見が合わなくて喧嘩までするのを見たら、どんなに落ち着かず、負担になるでしょうか?
神様と聖霊様に接するときもそうです。
2022年7月24日 主日礼拝のみことばより
説教者:チョンミョンソク牧師