救い主というのは神様をよく信じるようにしてあげる人です。また人々を守り、傷を癒し、心を痛めている人がいたら、話し相手になり、友達になってあげて、導いてあげることをする人です。救い主の道はそういうものです。
だから犠牲になる道です。
救い主は王様のような権威を持っているのでもないし、主権者のように行うために来たのでもありません。
ただ数十人でも数万人でも数億人でも神様の御言葉で生かすために来たのです。
川に溺れている人を救って、私がお前が川に溺れた時、救ってやった人だと自慢する時間があるでしょうか。そのような自慢をする時間があったら、他のところでまた働くでしょう。
1997年10月26日 主日礼拝より抜粋 マタイによる福音書16章24-28章
説教者:チョンミョンソク牧師