2001年12月23日 主日礼拝「救い主が来られた」より抜粋
ルカによる福音書2:8-14
救い主を信じて救い主の生まれを祝うようになったから、本当に栄光であり、喜ばしいことだと言うほかありません。救い主を遣わして下さった神様に、私達みんなは感謝と栄光を帰していきます。救い主を愛し、一生喜んで生きて行きます。
そういう意味で、まず主が来られたことを迎える讃美をします。
諸人こぞりて迎えまつれ
久しく待ちにし
主は来ませり
主は来ませり
主は主は来ませり
悪魔のひとやを打ち砕きて
とりこを放つと
主は来ませり
主は来ませり
主は主は来ませり
この世の闇路を照らしたもう
たえなる光の
主は来ませり
主は来ませり
主は主は来ませり
平和の君なる御子を迎え
救いの主とぞ
褒め称えよ
褒め称えよ
褒め褒め称えよ
まず、私達が祝っているイエス様がどのように来られたのか、お生まれになった時どういうことがあったのかを分かって迎えましょう。聖書の随所に、イエス様の生まれといろいろな出来事が書かれています。その内容を総合して聞いてみましょう。
神様は自分を信じる人々に「あなた方の為に救い主を送ってあげる」と約束し、救い主イエス様を送って下さいました。イエス様はイスラエルの、かの有名なダビデ王の血統です。ダビデ王が有名になった特別な理由は、神様をとてもよく信じたので神様がダビデと共にし、多くの戦争で大勝利を治めたことで有名になったのです。
王の子孫から信仰の王が生まれました。ヨセフとマリヤは、国の特令で、全国で戸籍登録をしなさいということで、ベツレヘムに戸籍登録に行った時に、イエス様を産むことになりました。
イエス様が生まれた所はホテルでも旅館でもありません。聖書に書いてある通り、馬小屋で生まれました。人々はイエス様が馬小屋で生まれたと言うと、みんな不思議に思います。
イエス様を卑しく見せるために馬小屋で生まれさせたのではありません。2000年前、あの田舎の貧しい村にホテルがあったでしょうか。旅館があったでしょうか。戸籍登録をするために多くの人々が集まっていた所に用意された家があったでしょうか。
ただちに子供を産める所といったら、馬小屋くらいしかなかったのです。戸籍登録に来た人達がごったがえしていたので、ヨセフは人々に見られないように囲いで馬小屋を囲い、マリヤがそこで子供を生んで、飼い葉桶に寝かせたのです。
神様は、全人類を救うべき救い主をこのように馬小屋で出発させました。
この世の中の人々は誰一人、自分を罪から救って、死亡から生命圏に救って、天国に行けるようにすべき方が来ていることを知らないでいました。神様が遣わした方のことを、神様が教えなくては知ることはできません。
続く